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外国人向けからインドネシア人向けに変容する町、クマン

中野 千恵子

インドネシア・ジャカルタ(在住歴17年)

プロフィール詳細

アジア・オセアニア|インドネシア|2013年09月23日

外国人向けに開発された町

インドネシア伝統の布を現代風の色合いやデザインで販売するクマンの高級店。1枚何万円もするような布や洋服が売られている

インドネシア伝統の布を現代風の色合いやデザインで販売するクマンの高級店。1枚何万円もするような布や洋服が売られている

20世紀中盤までのオランダ統治時代の政治経済の中心地がジャカルタ北部だったことからもわかるように、ジャカルタの町は古くは北部のみが栄え、南部はジャングルが広がっていた。その後、町の規模が拡大するにつれ、開発が南へ南へと進んだ。南ジャカルタのクマン地区は、目抜き通りのクマンラヤ通りの周囲に広がる300ヘクタール以上の地域。1970年代にはまだ森林や野原だったこの地域も、外国人向け居住地として開発が進み、1998年の経済危機直前には外国人居住者が約4800人いたといわれる。さらに、当時のジャカルタ特別州知事だったスティヨソ氏がクマンを商業エリアとして開発すると方針を出したことから、この町は外国人向けの一軒家や高級アパートメントだけでなく、輸入食材を売るスーパーやしゃれたカフェ、レストラン、ブティックが並ぶ町となり、ジャカルタの中でもほかのエリアとは一線を画す洋風の雰囲気を漂わせている。

ゆとりを楽しむインドネシア人

クマンの最新のショッピングモールに入居する洋風レストランにて。味には保守的といわれるインドネシア人の間でも、西洋の味が浸透してきた。アルコールも注文できる

クマンの最新のショッピングモールに入居する洋風レストランにて。味には保守的といわれるインドネシア人の間でも、西洋の味が浸透してきた。アルコールも注文できる

私がジャカルタに移住した2002年ごろは、まだまだ欧米人の姿が多かったため、ジャカルタ在住の日本人の間で「ジャカルタの広尾」などと呼ばれていたクマン(もちろんかなりほめ過ぎであることは否めない)。ここ2~3年のインドネシアの経済成長に伴い、外国人だけでなく、中産階級以上のインドネシア人の姿も多く見かけるようになった。生活にゆとりがなければ手を出すことのできない高級雑貨や家具、芸術品を扱うインドネシア人オーナーの店も充実してきており、ギャラリーにはインドネシア人芸術家が集っている。ランチタイムに約2000円かかるなど、日本人でも少々高いと感じるレストランにも、インドネシア人客が訪れるようになり、ピザや肉料理などの洋風のメニューを楽しむようになった。
インドネシアの経済成長と共にその姿を変容させるクマン。今後この町がどういう変化を遂げていくのか、楽しみに見守っていきたい。

中野 千恵子

インドネシア・ジャカルタ(在住歴17年)

月刊誌さらさ編集長

 
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