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プログラム|特別講義 -専門家に聞く-

知られざる外交大国・インドネシア

川村 晃一

プロフィール詳細

アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2018年06月29日

 朝鮮半島の南北首脳会談開催をうけ、メディアの国際欄は、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長との米朝首脳会談に関するニュース一色となった。そんななか、「インドネシア開催地名のり」という小さな記事が新聞の国際面に唐突に掲載された(『日本経済新聞』2018年5月1日)。4月30日、インドネシアのジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領がジャカルタに駐在する韓国と北朝鮮の両国大使と会談し、米朝首脳会談をインドネシアで開催することを提案したのである。
 インドネシアは、実は1960年代から北朝鮮との友好関係を保ってきた国である。インドネシアの初代大統領スカルノと北朝鮮の金日成首相(当時)が個人的に良好な関係を築いた時代には、「ジャカルタ・プノンペン・ハノイ・北京・平壌枢軸」と名付けられた反帝国主義連合の一角を両国は形成した。その直後、スカルノは失脚して政治体制が変わったが、両国間の友好関係が途切れることはなかった。政府高官レベルでの交流は民主化後のいまも続いており、スカルノ・ファミリーと金ファミリーの個人的な関係も途切れていない。昨年にスカルノの長女、メガワティが韓国を訪問した際、文在寅大統領から南北統一の橋渡し役を頼まれている。2004年に北朝鮮による拉致被害者である曽我ひとみさんが、夫で元米兵のチャールズ・ジェンキンスさんと再会する場所としてジャカルタが選ばれたのも、インドネシアと北朝鮮の伝統的な友好関係からであった。奇異にも見える今回のジョコウィ大統領の提案も、こうしたインドネシア外交の遺産を背景としているのである。

インドネシアの「自主積極外交」

 インドネシアは、伝統的に外交を得意とする国である。しかしインドネシアは、国土は大きいとはいえ、国力という点では、政治的にも経済的にも先進国には劣っていると言わざるをえない。そこで、大国に支配されがちな国際関係でインドネシアが存在感を示すために指針としてきたのが、「自主と積極」という外交原則である。つまり、特定の国との同盟関係に依存することなく、大国からの干渉を排除して外交の「自主」性を維持すると同時に、「積極」的な外交を展開することでインドネシアの国際的な地位を高めていこうというのである。この外交原則のもとで、歴代の大統領は国際社会におけるインドネシアの存在感を維持してきた。
 インドネシアの自主積極外交が最初の輝きを見せたのが、1955年4月に開催されたアジア・アフリカ会議である。西ジャワのバンドンで開催された同会議には、第2次世界大戦後に独立を果たした29カ国が参加し、「反帝国主義・反植民地主義・民族自決」の原則を高らかに謳いあげた。その後「バンドン会議」とも称されるようになった同会議の成功は、旧植民地国家が国際社会の一員であることを世界的に認知させることにつながった。また、この会議を成功に導いたインドネシアは、新興独立国の雄としての地位を確立した。

アジア・アフリカ会議が開催された会場。現在はアジア・アフリカ会議を記念した博物館となっている

アジア・アフリカ会議が開催された会場。現在はアジア・アフリカ会議を記念した博物館となっている

 さらに、東西冷戦下で資本主義陣営にも社会主義陣営にも属さないことで、国家の自立を守っていこうとする非同盟運動にもインドネシアは積極的に関与した。その結果、スカルノ大統領は、中国の周恩来首相、インドのジャワハルラール・ネルー首相、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル大統領、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー大統領と並ぶ、「第三世界」のリーダーと認知されるようにもなった。

ASEANの盟主

 政権末期に中国に急接近したスカルノが失脚すると、インドネシアは国軍出身のスハルト大統領の下で「反共国家」として再出発することになった。経済再建のため資本主義陣営からの援助と投資を呼び込む必要があったことから、西側先進国との関係改善が図られたのである。それでも、インドネシアが「自主積極外交」を放棄することはなかった。
 その時にインドネシア外交の柱となったのが、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心に据えた地域外交だった。経済開発を推し進めていくためには地域の平和と安定が必須であるとの認識のもと、インドネシアは東南アジアの近隣諸国との関係改善を図るとともに、地域の安定装置としてASEANの設立と運営に積極的に関わった。ASEAN事務局をジャカルタに誘致したことはその表れであるし、ASEANの運営原則として内政不干渉や全会一致を掲げたのは、地域内での政治的な信頼醸成が第一義であるというインドネシアの考えを反映したものであった。
 ASEANは常にその存在意義を問われながらも、1990年代に入るとASEAN自由貿易協定の下での経済統合が進展し始める。インドネシアも、1994年に西ジャワのボゴールで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、2020年までに域内貿易を自由化するという合意を成立させるための交渉を主導した。1980年代から高度経済成長を続けて国力を増大させていたこともあいまって、インドネシアは「ASEANの盟主」としての立場を確固とすることに成功した。

ソフト・パワー外交の展開

 しかし、1997年のアジア通貨危機を契機とする経済の崩壊と、それによって引き起こされた政治体制の転換は、インドネシアの外交力を一時的に奪うことになった。2004年までかかった民主化改革、2006年までかかった経済復興の時期は、インドネシアも内政に注力せざるをえなかった。
 インドネシアが再び外交力を発揮し始めたのは、史上初めて国民による直接選挙でスシロ・バンバン・ユドヨノが大統領に就任した2004年以降のことである。ユドヨノは、「自主積極」の原則に立ち返って、全方位善隣外交を積極的に展開した。ASEANを中心とした地域外交を軸足にして、多国間外交の場における国際協調の実現が外交方針に据えられた。その際にユドヨノが外交力の源泉として利用したのが、文化や価値観などの魅力で信頼を得る力、「ソフト・パワー」であった。
 インドネシアは、国民の約9割がイスラーム教徒の国でありながら、中東諸国とは異なり、民主化に成功した国として世界的な賞賛を受けるようになっていた。ユドヨノ大統領は、イスラーム過激派によるテロ対策でアメリカやオーストラリアなど欧米諸国と協力する一方、「世界最大のイスラーム人口を抱える民主主義国」として積極的に宗教間対話に関わり、中東問題の解決に向けて欧米とアラブ諸国との橋渡し役を買って出た。
 また、民主化に成功した国として、インドネシアは民主主義外交を積極的に展開した。ただしインドネシアは、西欧モデルの「押しつけ」になりがちな先進国による民主主義外交とは一線を画し、「新興民主主義国として経験を共有する」というアプローチをとることで、民主主義の導入に警戒感の強いアジア諸国とも対話を継続させることに成功した。それは、アジアの民主主義国からも非民主主義国からも代表が集まって討議を行う「バリ民主主義フォーラム」という国際協議体として2008年から続けられている。
 また、東西5100キロにわたって赤道上を占有するインドネシアは、熱帯雨林や海洋がもたらす天然資源を豊富に有する一方で、熱帯雨林の焼失や地球温暖化、海洋汚染といった環境問題にも直面している。そこで、環境保護や資源保護に取り組むための国際協力にもインドネシアは積極的に参加し、時には協力の枠組み作りを主導する外交を展開した。さらに、2004年に発生したスマトラ島沖大地震・津波をはじめ災害大国でもあるインドネシアは、その経験を国際的に共有しようと、防災外交にも力を入れている。
 政治的な安定と経済回復、そしてユドヨノ外交によるこうした努力が結実し、インドネシアは東南アジアからは唯一のG20メンバーに選ばれた。

外務省の公式レセプションなどで利用されるパンチャシラ公館(Gedung Pancasila)。オランダ支配下では植民地参議会、日本軍政下では中央参議院の議事堂だった歴史的建物である

外務省の公式レセプションなどで利用されるパンチャシラ公館(Gedung Pancasila)。オランダ支配下では植民地参議会、日本軍政下では中央参議院の議事堂だった歴史的建物である

変わる外交方針、変わらない外交原則

 しかし、2014年に大統領に就任したジョコウィは、ユドヨノ外交を否定する姿勢を示した。ジョコウィは、ユドヨノの国際協調外交に対して国益重視の外交を、多国間外交に対して二国間外交の重視を、そしてソフト・パワー外交に対して実利優先の経済外交の重視を打ち出したのである。インドネシア外交の中心的な柱であったASEAN外交も、「柱のひとつ」と位置づけが軽くなった。ビジネスマン出身のジョコウィらしく、親善外交や価値外交には興味を示さず、具体性やスピードを重視する実利外交への転換が図られている。
 一方で、ミャンマーで発生したイスラーム系少数民族ロヒンギャに対する弾圧に対して、インドネシア政府は、難民の支援と紛争の解決に向けて国際社会でいち早く行動を起こしている。トランプ大統領がエルサレムを首都と認定すると発言したことに対しても、この問題を協議するためのイスラーム協力機構臨時首脳会議の開催をジョコウィ大統領が呼びかけた。このような積極的な外交の展開の背景には、国内で影響力を伸ばしつつあるイスラーム保守派への配慮という側面があることも否定できないが、「自主積極外交」の原則が揺らいでいないことの表れでもある。
 そもそも、インドネシアが「自主積極外交」を唱えるようになったのは、植民地支配や帝国主義的支配に対する強い反感があったからである。独立までに4年にわたる対オランダ戦争を経験し、独立後も欧米資本による経済的支配や地方反乱への政治的介入などを経験したインドネシアには、欧米大国に対する根強い不信感が存在する。国家の独立と統一を維持するためには、特定の大国に依存するのではなく、積極的に国際社会へ働きかけることが必要だという認識がその根底にある。その意味で、「米朝首脳会談のジャカルタ開催」を呼びかけたジョコウィ大統領も、「自主積極外交」というインドネシアの伝統的な外交原則に則って行動しているといえるのである。

出典

・日本経済新聞『インドネシア 開催地名のり』(2018/5/1付)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30005820Q8A430C1FF8000/

関連ページ

・2019年大統領選に向けた動きが活発化してきたインドネシア
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=973

・日本インドネシア国交樹立60周年への思い~ガムランの演奏活動を通して
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/overseas_detail/id=980

・【世界の統計局】インドネシア
https://gmc.nikkei-r.co.jp/stat_area/?search_ext_col_01=01&topics_ext_options_search=1#area244

川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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