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プログラム|特別講義 -専門家に聞く-

アフリカへ、再び―日本のタネをケニアでカタチに―

坂田 泉

一般社団法人OSAジャパン(会長)・建築家

プロフィール詳細

ビジネス全般|中東・アフリカ|ケニア|2014年06月05日

『アフリカの夢』

2010年8月16日。アフリカでの「宿題」を心に抱えたまま建築設計事務所に復職していた私は、ちょうどお盆休みこの日、自宅のソファで何気なく広げたある日刊紙の特集記事に目を奪われた。そのタイトルは、『アフリカの夢』(注1)。私の知る限り、主要なマスメディアが採り上げるアフリカといえば、病や貧困、汚職や抗争といった暗い話題が多かったが、その特集は、アフリカには夢があると断言する。「それなのに何故、日本はアフリカに来ない?」という内容。アフリカ大陸を拠点にビジネスを展開する中国人は推定で100万人を超える勢いなのに、日本人はたったの7,888人(2009年)。中国の1パーセントにも満たない。わが愛するケニアでも、中国人が油田採掘権と引き換えに、空港と市中心部を結ぶモンバサ・ロードを初め、様々なインフラ整備を進めているというではないか。私は建築の専門家として中国人の仕事の流儀には良くも悪しくも通じていた。直観的に、中国人に愛するケニアを任せていていいのだろうか、自分が行くべきではないかと思った。

建築家としては、別の思いもあった。私の師事していた前川國男という建築家は、1960年代、日本が自前の近代技術で美術館や図書館、音楽堂などの公共建築を試行錯誤の中で開拓した時代のパイオニアであった。例えば、上野の東京文化会館(1963年竣工)は前川の代表作である。そして、私が30年近く学んできたその建築手法は、爛熟の極みというべき現代の日本より、若く伸び盛りで、これから自分たちの公共建築を造ろうというケニアでこそ活かされるのではないかと思ったのだ。

こうした思いが重なり、私はケニアで建築の仕事をすることを決意したのである。

『虹プロジェクト』

それからの動きは速かった。まず、当時、アフリカ関連のNGOを通じて交流のあった在日ケニア人建築家のDick Olango に連絡を取り、会うことにした。Olangoはケニアの高校を卒業後、文部省(現・文部科学省)の留学基金で日本に留学、東京都立大学(現・首都大学東京)建築学科を卒業し、いくつかの設計事務所で修業を積んだ後、自分の設計事務所を主宰していた。私たちは何よりもまず、建築家として建築に対する考え方について互いに近しいものを感じていた。そして、彼がいつかケニアに帰り、ケニアの前川國男のようになりたいと熱く語ったことも私はよく覚えていた。久しぶりに会ったOlangoにそのことを問うと、そろそろケニアに帰ろうと考えているという。そこで私は、では一緒にケニアでやらないかと提案。たちまち意気投合したのである。

図1:虹プロジェクト<br />
「虹」は、人と人、国と国との「間」の無限の可能性を象徴している

図1:虹プロジェクト
「虹」は、人と人、国と国との「間」の無限の可能性を象徴している

その日のうちに、OSA(Olango and Sakata Associates)という組織名と、『虹プロジェクト』という自分たちの基本的なコンセプトを定めた。この「虹」という言葉には特別の思いが込められている。虹というのは、私とOlangoであったり、ケニアと日本であったり、いずれにしても、何かと何かの「間」に架かるものだ。どちらかがどちらかを主導するのでなく、同じ地平に立ったもの同士が互いにできることを通じて、互いに驚くような何かすばらしいものを生み出してゆこうと考えた。この思いは、かつて、ケニアで抱えた「宿題」、すなわち、日本から一方的に何かを与えるようなやり方ではなく、ケニアの社会の底にみなぎる「力」を活かすべきだという考えにも通じている。そして、その「間」の可能性を象徴するのが「虹」だったのである(図1)。

ソシアルデザイングループOSA

図2:OSAジャパン メンバー <br />
左から<br />
Emmanuel Mutisya<br />
(チーフエコノミスト)<br />
坂田 泉(会長)<br />
Dick Olango(顧問)

図2:OSAジャパン メンバー 
左から
Emmanuel Mutisya
(チーフエコノミスト)
坂田 泉(会長)
Dick Olango(顧問)

『虹プロジェクト』には日本とケニアにふたつの拠点が必要である。そこで私たちは、2011年1月、日本側活動拠点として、一般社団法人OSAジャパンを、私を会長、Olangoを顧問として設立した。同年5月には、国連大学研究員で開発経済の専門家であるケニア人エコノミスト、Emmanuel Mutisyaを同法人のチーフエコノミストとして迎え、2012年8月には、OlangoとMutisyaがケニア側の活動拠点、OSA Kenyaを設立し、現在に至る(図2)。

図3:ソシアルデザイングループOSA

図3:ソシアルデザイングループOSA

私、Olango、Mutisyaの三人は、それぞれの職能と広範なネットワークを活かしながら、日本とケニアにまたがる企業とのコラボレーションを進めている。私は、建築家、JICA派遣専門家としての経験から、日本の住環境、エネルギー関連の民間企業、JICA等の行政機関、アフリカ関連NGOや、ケニア側では派遣専門家時代のジョモ・ケニヤッタ農工大学の同僚、教え子、現在の同大学とのネットワークを有している。また、Olango、Mutisyaは、それぞれ建築家、国連大学研究員という職能から、ケニア側の住宅、建設、環境関連の民間企業、行政機関、学術・研究機関、NGO、国際機関(国連人間居住計画 / UNHABITAT、国連環境計画 / UNEP、国連開発計画 / UNDP等)とのネットワークを持っている。

こうした特色を活かし、OSAジャパンとOSA Kenyaは、ケニア社会に広く、深いネットワークを構築することにより、日本企業のインクルーシブ(包括的)な事業展開を支持するソシアルデザイングループ、OSAとして、一体的に活動している(図3・注2)。

図4:LIXIL社のプロジェクトメンバーと(2013年4月ナイロビにて)

図4:LIXIL社のプロジェクトメンバーと(2013年4月ナイロビにて)

次回からは、株式会社LIXILと進めている「環境関連プロジェクト」について現地の動きをご紹介してゆきたい(図4)。

図5:<br />
「ソーラーシートプロジェクト」<br />
コンセプト

図5:
「ソーラーシートプロジェクト」
コンセプト

注1:
『朝日新聞グローブ』2010年8月16日 第46号

注2:
私たちは日本とケニアに拠点を有するメリットを活かし、「日本のタネをケニアでカタチに」をモットーに、日本の企業の持つ優れた技術、プロダクトのタネをケニアでカタチにする仕事を進めている。その記念すべき最初のプロジェクトが「薄膜系アモルファス太陽電池」を用いた「ソーラーシートプロジェクト」(2011年8月~)である。太陽電池の膜状のセルだけを日本企業から調達し、それをケニアでラミネートし、「ソーラーシート」として製品化した上、ジョモ・ケニヤッタ農工大学建築学部と共同して、建築建材や携帯電話充電器等、現地のニーズに即したアプリケーションを生み出そうというプロジェクトである。


図5:日本企業から調達したセルを元に、ジョモ・ケニヤッタ農工大学と様々なアプリケーション開発を目指す

図6:ソーラーシートの建築への応用

都市部では屋根や壁と一体になった建材(左)、村落部では伝統的民家にもなじむ製品(右)の開発

都市部では屋根や壁と一体になった建材(左)、村落部では伝統的民家にもなじむ製品(右)の開発

図7:携帯電話充電器

軽く柔軟な特性を活かし、ファッションアイテムとしての携帯電話充電器を目指す

軽く柔軟な特性を活かし、ファッションアイテムとしての携帯電話充電器を目指す

出典

・ソーラーシートプロジェクト
http://osa-rainbow.com/jobs.html

坂田 泉

一般社団法人OSAジャパン(会長)・建築家

2011年、OSAジャパンを設立。「虹プロジェクト」の名の下、ケニアと日本の間に虹を架けるような仕事を目指している。主な著作に『ムチョラジ!』(求龍堂)などがある

 
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