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プログラム|特別講義 -専門家に聞く-

デルタ株の感染爆発が続く東南アジア

川村 晃一

プロフィール詳細

アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2021年08月12日

世界最悪レベルのインドネシア

 インドネシアにおける新型コロナウイルス感染症の急拡大は、日本のメディアでも大きく報道された。現地の在留邦人の間でも感染や死亡が相次いだことから、多くの駐在員やその家族が日本に待避する事態となったからである。
 同国では最初の感染者が確認された2020年3月から感染の拡大が一度として止まることがないまま1年が経過したが、2021年3月中旬頃から感染者数がようやく落ち着きを見せ始めていたところだった。ところが、6月に入って再び感染者数が増加し始めると一気にそのスピードが加速し、7月中旬には1日あたりの感染者数が5万5000人を超えて世界最悪レベルの状況になった。医療体制は逼迫し、簡易ベッドを通路や駐車場などに設置して患者を処置するケースがジャワ島各地の病院で見られるようになった。
 それでも病床の確保が追いつかず、自宅療養中に死亡するケースも増加した。1日あたりの死亡者数が2000人を超える日も記録された。ただし、これらの数値でさえ過小評価だと指摘する声も多い。新型コロナに感染したと判定されないまま自宅療養中に亡くなる人もかなりの数に上るとみられるからである。また、地方自治体のなかには、コロナ対策に失敗したと批判されることを恐れて正しい感染状況を報告していないところがあることも報道されている。
 同国におけるコロナ禍の深刻さは、筆者の友人・知人らとのやり取りからも感じられる。ジャカルタに住むインドネシア人の友人は、「少なくともジャカルタで縁者に感染者が出ていない家族はいない」と、7月上旬に連絡をとった時点で危機感を表していた。それが7月中旬になると、筆者の知人のなかからもコロナで亡くなったという知らせが次々と入るようになった。
 感染の急拡大は、他の東南アジア諸国でも同様に観察されている(図1および図2参照)。感染の抑制に比較的成功していたシンガポールをはじめ、タイ、マレーシア、ベトナムなどでも感染が急拡大しており、これらの国では再び市民の行動や社会活動を制限する措置がとられはじめている。

変異種の猛威とワクチン接種の遅れ

 このような急激な感染の拡大をもたらしたのは、感染力の強い変異種デルタ株への置き換わりが急速に進んだためである。4月から5月にかけてデルタ株の猛威に襲われたインドのすぐ後を追って、東南アジアでも急速にデルタ株の感染が拡大し、6月にはシンガポールやインドネシアで感染の9割以上がデルタ株となった。
 しかも、人口の5割以上がワクチン接種を完了したシンガポールを除き、東南アジア諸国ではワクチン接種が進んでいない(図3参照)。ワクチンの調達量が十分でないうえに、接種のスピードもなかなか上がらないのが実情である。
 周辺諸国に先駆けていち早く2021年1月にワクチン接種を開始したインドネシアも、接種のペースを上げられないままでいる。人口大国なうえに国土も広大なため、ワクチン接種のためのロジスティクスが整わないことがその理由のひとつである。また、国民の間ではワクチン接種を忌避する雰囲気がまだまだ強いことも摂取率がなかなか上がらない背景としてある。
 7月の感染拡大をうけてワクチン接種の必要性が次第に認識されはじめたとはいえ、急激に接種率を上げることは物理的に不可能である。各国政府とも、ワクチン接種を推進しつつ、当面の感染拡大を抑制する手段としては人々の行動を制限するほかに打つ手はない状況である。

遅れた政府の対応

 ただし、政府の対応に問題がなかったわけではない。とくにインドネシアにおける感染抑制策は後手に回ったと言わざるをえない。
 インドネシアにおいてデルタ株の急拡大を引き起こすきっかけとなったのは、5月中旬のイスラム断食明け大祭(イドゥル・フィトリ)前後における人流の増加だったと考えられる。イスラム教徒にとって最も大事な宗教的行事であるイドゥル・フィトリには例年2000万人が故郷に帰るが、昨年同様、今年も政府は国民に対して帰省を控えるよう要請した。警察は主要な高速道路や幹線道路で検問を行い、移動許可証をもたない車両を取り締まった。しかし、抜け道を使って帰省する人はあとを絶たなかったし、血縁関係者同士の会食を防ぐことまではできなかった。長期休暇の後に感染者が増える傾向はこれまでもみられたが、今回は感染力の強いデルタ株だったこともあって感染者の爆発的な増加を招いてしまった。

 政府の水際対策にも問題があったことが指摘されている。政府がインド滞在歴のある外国人の入国を停止したのは4月24日だったが、その時点ですでに感染者の10%程度がデルタ株だったとみられており、4月はじめにはすでにデルタ株がインドから国内に入ってきていたと考えて間違いない。また、インドからの入国制限とあわせて、すでにデルタ株の感染が広がっていたサウジアラビアやアラブ首長国連邦、マレーシアなどからの渡航者の入国も制限することが政府内では検討されたが、二国間関係を考慮して見送られた。その間に、これらの国で移民労働者として働いていたインドネシア人によってデルタ株が持ち込まれた可能性も指摘されている。海外からの渡航者に課された隔離もわずか5日間だけだったことも問題視されている。しかも、入管職員に賄賂を支払ってその隔離措置さえも経ないまま入国するケースがあったことも報告されている。
 さらに、大規模な社会活動の制限を課す措置をとることに対して最後まで消極的だった政府の姿勢が世界最悪レベルの感染拡大を招いたと言わざるをえない。インドネシア政府は、2020年4月から6月にかけて「大規模社会制限(PSBB)」を実施して、感染が広がった地域における飲食店や商業施設などの休業、在宅勤務やオンライン授業への移行、公共施設や遊興施設の閉鎖などを要請したが、それ以降は感染が抑制されていない状況下でも強い行動制限を緩める傾向にあった。とくに2021年に入ってからは特定の地域全体に対して大規模な行動制限を課すのではなく、町内会や自治会などコミュニティレベルでの行動制限である「ミクロ社会活動制限措置(PPKM Mikro)」を実施することで社会経済活動と感染抑制の両立を図ろうとしてきた。
 6月に入って感染急拡大の兆候が明確になると、医療専門家らからはより強い措置を求める声があがったが、政府はミクロ社会活動制限措置を継続することにこだわった。1年以上にわたるコロナ禍のなかで、路上屋台や小規模店舗、零細企業などのインフォーマル部門で働く低所得層の生活は厳しさが増している一方、彼らに対する政府による経済支援は財政的にも限界があるため、ジョコ・ウィドド大統領は一貫して大規模な社会活動・行動制限には消極的な姿勢をとってきた。今回の感染爆発を目の前にしても、大統領のこの姿勢はなかなか変わることはなかった。
 大統領が大規模な制限を再び実施せざるをえないと判断したのは、1日の感染者数が6万人、死者数が500人に近づこうとしていた6月末になってからだった。7月3日、政府はジャワ島の全州とバリ州に対して「緊急社会活動制限措置(PPKM Darurat)」を適用した。大統領が決断を遅らせた1カ月間に感染者は37万人以上増え、8200人以上の患者が亡くなった。
 その後、ジャワ・バリ以外の感染が急拡大している地域に対しても緊急社会活動制限措置が適用されたが、大規模な社会活動・行動制限は必要最小限にとどめるというジョコ・ウィドド大統領の方針はいまだに変わっていない。1日の感染者数がいまだ4万人以上、死亡者数が1500人前後という状況にもかかわらず、7月26日に政府は状況の改善している一部地域に対する活動制限措置を緩和することを発表した。インドネシアにおける厳しい状況はしばらく続くかもしれない。

出典

・Our World in Data
https://ourworldindata.org/

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川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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