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新型コロナ下、際立つインドネシア外交のしたたかさ

川村 晃一

プロフィール詳細

アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2021年06月02日

 5月13日、世界のイスラム教徒は新型コロナ禍の下で2度目の断食明け大祭を迎えた。イスラム教徒にとっては最も大事な宗教的行事で、日本のお盆やお正月のように、人々は故郷に帰り、親族と断食が明けたことを祝うのが習わしである。世界最多のイスラム教徒を抱えるインドネシアでも、「レバラン」と呼ばれる断食明け大祭前後にはほとんどの職場が休みに入り、たくさんのお土産を抱えた人々が都会から田舎に向けて帰省をするのが普段の光景だった。
 しかし、新型コロナ禍が続く2021年では、そうした普段のレバランを迎えることはできなかった。昨年同様、今年のレバランでも政府は原則として州境を越えた移動を禁止し、離れた親族とのお祝いはバーチャルで行うことを推奨した。2020年3月以降、一度として感染拡大の波がピークに達することなく1年が経過したインドネシアでも、3月中旬頃からようやく感染者数が落ち着きを見せ始めたが、イギリス、インド、南アフリカなどから変異株が侵入し始めていたこともあり、再び感染の拡大が懸念されている。
 にもかかわらず、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領に対しては、国際的には新型コロナ対策に失敗したという評価が下されている一方、国内的には政府の対応を評価する声が60%近くに達している。大統領の支持率も高いレベルで安定しており、2021年4月に有力紙『コンパス』が実施した世論調査では、大統領の政権運営に満足していると答えた人の割合は69.1%だった。

中国との協力で進む新型コロナワクチン接種

 政府の新型コロナ対策が評価されている要因のひとつが、ワクチンの接種が周辺諸国に比べると進んでいる点にある。インドネシアのワクチン接種は2021年1月13日、ワクチンが安全かつイスラムの戒律に沿ったもの(ハラル)であることを強調するためジョコウィ大統領自身が接種第1号となって始まった。東南アジアでは2020年12月30日にワクチン接種が始まったシンガポールに続いて2番目の早さであった。それ以降、医療関係者、軍・警察関係者、省庁関係者、教員、マスコミ、観光業従事者、市場の商人などが優先的にワクチン接種を受け、現在は高齢者への接種が進んでいる。5月14日現在、1回目のワクチンを接種した国民は478万人(全体の1.75%)、2回のワクチン接種を終えた国民は892万人(全体の3.26%)である。ちなみに、日本は前者が246万人(同1.94%)、後者が157万人(同1.24%)である。ワクチン接種が先行しているシンガポールを除けば、インドネシアは東南アジアのなかでもワクチン接種が最も進んでいる。

 インドネシアがワクチン接種で先行できたのは、ジョコウィ大統領の努力によるものである。2020年4月に社会経済活動の制限などの措置をとったものの感染拡大の抑制が容易でないことを悟った大統領は、早い段階で対策の中心をワクチン接種と見極め、ワクチンを早期に調達することを目指した。
 政府は韓国、アラブ首長国連邦(UAE)などともワクチンの開発と供給で合意しているが、最も重視したのが中国との協力である。2020年8月20日には、新型コロナ禍にもかかわらず、レトノ・マルスディ外相とエリック・トヒル国営企業相が直接中国を訪問して王毅外相や製薬会社代表と会談し、2021年3月までに4000万回分のワクチンの供給をシノバック・バイオテック社から受けることで合意している。
 また、2020年8月中旬にはシノバック社とインドネシアの国営製薬会社ビオ・ファルマが協力して第3相臨床試験を西ジャワの州都バンドンで始めるとともに、シノバック社からの技術協力の下、ビオ・ファルマ社が国内で1億2500万回分のワクチンを生産することも決まった。交渉を担当したルフット・パンジャイタン海事・投資担当調整相は,「インドネシアを新型コロナ・ワクチン生産のハブにする」と述べ、中国との協力の下、ワクチンの調達だけでなく生産も進めるという野心的な方針を明らかにしている。
 2020年12月6日に早くもワクチン調達の第1陣としてシノバック製のワクチン約300万回分が到着したのを手始めに、中国からは数次にわたってワクチンが到着している。また、世界保健機関(WHO)やユニセフなど国際機関から供与されるアストラゼネカ製ワクチン(イギリス)のほか、二国間契約によってモデルナ(アメリカ)、ファイザー(アメリカ・ドイツ)、ノババックス(アメリカ)、シノファーム(中国)などからもワクチンの供与を受けることになっている。2021年5月14日までにインドネシアが調達したワクチンは2262万回分に達した(図2)。政府は、2022年3月までに18歳以上の国民1億8100万人に対するワクチン接種を終えることを目標にしている。

 こうしてインドネシアは、東南アジアのなかで中国製ワクチンの最大の調達国となった。欧米で生産されるワクチンは値段も高く、「ワクチン・ナショナリズム」と称されるように自国への供給が優先されることを見込んで、ジョコウィ大統領が早くから中国に狙いを定めてワクチン調達のための外交を展開したためである。一方、中国政府も、ワクチンの供給を通じて中国の影響力を拡大させようとする「ワクチン外交」のなかで、インドネシアを東南アジアにおける最重要国と位置づけて、インドネシアへのワクチン供与を積極的に推し進めた。新型コロナ対策をめぐって、両国の利害が一致したのである。

問題続出も、対中関係の悪化避ける

 こうしてみるとインドネシアと中国との密月関係ばかりが目立つが、実は、2020年前半には中国との間でさまざまな外交問題が発生していた。2019年12月下旬から2020年1月初頭にかけては、中国海警局の巡視船に護衛された約60隻の中国漁船が、インドネシアの排他的経済水域内である北ナトゥナ海域で2週間にわたって断続的に操業するという事象が発生した。これに対して装備の劣るインドネシアの海上保安庁は何の手出しもできず、2021年1月8日にジョコウィ大統領が現地入りするまで中国漁船は操業を続けた。
 2021年3月から4月にかけては、東南スラウェシ州コナウェに中国が建設しているニッケル精製工場の現場に中国からの労働者が入ってきている事例がソーシャルメディアでの投稿をきっかけに報告され、新型コロナの感染拡大を懸念する地元政府や住民から反発の声があがった。さらに、2021年5月から6月にかけては、中国漁船で働いていたインドネシア人労働者が非人道的な扱いをうけ、船上で死亡した船員が海上で投棄された事例が複数あることも明らかになった。いずれの事件についても国内からは中国を批判する声があがった。
 しかし政府は、ナトゥナ海域での主権侵害を許さないという点では強い姿勢を示しつつも、中国政府との関係を悪化させない方針を一貫して堅持し、あくまで話合いによって問題の解決を図るとして強い批判などを控えた。中国はいまやインドネシアにとって最大の貿易相手国であり、投資国としても日本を抜いて2位となっている。ましてや新型コロナ対策で最も頼りになるのは中国をおいて他にない。中国との良好な関係を維持することは、インドネシア政府にとってきわめて合理的な選択である。

中国一辺倒避け、日米からも協力引き出し

 インドネシア外交のしたたかなところは、だからといって中国一辺倒にならない点である。対中包囲網を築くため、東南アジアの大国であるインドネシアを取り込もうとするアメリカや日本の戦略を利用して、インドネシアは両国からも協力を引き出している。2020年10月29日には、アメリカのポンペイオ国務長官(当時)がインドネシアを訪問し、ワクチン供与などの新型コロナ対策に加えて、中国の南シナ海進出を念頭にナトゥナ諸島の開発で両国が協力していくことが確認された。それに先立つ10月14日には、エスパー国防長官(当時)が過去の人権侵害に関与した疑いから長くアメリカへの入国が禁止されていたプラボウォ・スビアント国防相を首都ワシントンに招待し会談した。
 日本も、菅義偉首相の就任後初の外遊先のひとつとしてインドネシアを選んだことから分かるように、インド太平洋構想にインドネシアを引き入れようと躍起である。2020年10月20日にボゴールで開催した両国首脳会談で両国は、インフラ開発や財政支援、経済交流の再開に向けて協力を進めることで合意した。さらに12月には、来日したルフット調整相と国際協力銀行(JBIC)や民間金融機関との会談で、インドネシア政府がインフラ開発資金の調達を目的に新設した政府系ファンド「投資管理庁(LPI)」に対する総額4000億円規模の拠出も合意した。2021年3月30日には、両国の外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)が東京で開催され、護衛艦の技術供与など防衛装備品の移転に関する協定締結に向けた協議を進めることが合意された。

日本はインドネシアと戦略的関係を構築できるか

 日米ともに、対中戦略という観点から南シナ海問題をテコに安全保障面でインドネシアを自陣営に取り込もうとしているが、インドネシアが欲しているのは経済面での協力であることには注意しなければならない。前述のように、中国漁船の排他的経済水域への侵入という問題はあるにせよ、南シナ海に関して中国との間では領有権争いはないというのがインドネシア政府の基本的な姿勢である。ジョコウィ政権はとくに経済外交に軸足を置いており、安全保障を理由に中国と距離を置くことはそもそも考えていない。安全保障面での協力は、あくまで経済面での協力を引き出すためのツールにすぎないのである。
 ただし、新型コロナ禍における日本の外交姿勢に対して、インドネシア政府は大きな失望を抱いている。菅首相がインドネシアを訪問する直前、経済外交を担当しているマヘンドラ・シレガル外務副大臣は、日本側に二国間関係を戦略的に発展させようとする姿勢がみられないと厳しく批判した。インドネシア側が不満に思っているのは、ワクチン開発や医療機器などの面で何ら協力の方向性が示されないばかりか、経済回復に必要な投資や貿易面でもほとんど具体的な動きがなく、新型コロナ危機でも「ルーティンな外交」に終始している日本政府の姿勢に対してである。有り体に述べてしまえば、中国に対抗するインド太平洋協力を進めようと言いながら、中国よりも魅力的なオファーは何もないではないか、ということであろう。中国という大国を前に、アジア外交において日本の独自性をどう出してしていくのか、創意工夫が求められている。

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川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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