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プログラム|特別講義 -専門家に聞く-

対ミャンマー制裁と企業の活動

末冨 純子

弁護士(日本国・米国ニューヨーク州)(ベーカー&マッケンジー法律事務所)、 早稲田大学法学部非常勤講師、日本国際経済法学会所属、東京弁護士会人権擁護委員会委員長、法務省司法試験考査委員、財務省関税・外国為替等審議会専門委員

プロフィール詳細

ビジネス全般|グローバル|香港|2021年06月11日

はじめに

 2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが発生した。軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問、ウィンミン大統領、及び複数の与党の国民民主連盟(NLD)の国会議員、党幹部らを拘束した。その後、憲法417条に基づく非常事態宣言が発令され、国軍最高司令官であるミン・アウン・フライン将軍が全ての国家権限を掌握することとなった。
 その後、ミャンマー国内においても、米国やEUをはじめとすると第三国においても様々な動きがあり、ミャンマーで活動する企業の中には撤退を決定した企業もある。ミャンマーをめぐるクーデター後の動きを追う。

ミャンマーにおける軍事クーデターの原因

 ミャンマーにおけるクーデターのきっかけは、2020年11月に行われた総選挙に遡る。NLDが国軍系野党の連邦団結発展党(USDP)に圧勝したが、国軍は有権者の二重登録などの不正投票が疑われる事例が860万人分あったとして、選挙結果が無効であると主張した。
 しかし、スー・チー政権はそのような主張に対して取り合わず、これを不満とする軍部は選挙不正を理由にクーデターを起こした。
 ミャンマーの有権者名簿には多くの不備があるようで、同じ有権者の名前が複数の選挙区にあること等はよくあることのようだ。しかしながら、二重投票を防ぐ努力は行われており、有権者は投票後に指に数日落ちないインクをつけることが義務づけられている。有権者名簿の登録に不備はあったとしても、選挙不正があったという国軍の主張には無理があると考えられている。

ミャンマーの政治的歴史

 選挙不正は一つの言いがかり、あるいはきっかけにすぎないのだとしたら、どのような原因が背景にあったのであろうか。
 今回のミャンマーにおける軍事クーデターに対し、ASEAN各国のインドネシア、マレーシア、及びシンガポールは議長国ブルネイとともに、スー・チー氏らの解放を盛り込んだ議長声明の草案をとりまとめ、国軍側に提示した。*1 これら3国にフィリピンを加えた4カ国はクーデターに批判的であるが、これに対して、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジアは内政不干渉原則を重視して静観している。ASEANの他の加盟国の態度がこのように割れていることからも、今回のミャンマーの軍事クーデターの捉え方が一筋縄ではいかないことが窺える。現状を確認するに先立って、ミャンマーの政治的歴史を簡単に紐解く。

 ミャンマーはかつてビルマと呼ばれ、多民族国家であり、初期の文明としては、モン族が栄えたエーヤワディー川流域から南下してきたビルマ族が1050年代にパガン朝を建てた。パガン朝は1287年にモンゴルの侵略により滅ぼされ小国が分立したが、1531年にビルマ族のタウングー朝が成立して国土を再統一した。その後、1752年にモン族に滅ぼされるも、ほどなくコンバウン朝が成立して全ビルマを統一した。コンバウン朝は、19世紀に英国領インドに対する武力侵略を発端として、英国と戦争(英緬戦争)を3度経た後滅び、ビルマは英国の植民地となる。
 1886年に英国領インド帝国の一州となるが、1937年にはインドから分離した。第二次世界大戦中は日本軍の占領を受け、1943年の独立の際には、アウン・サン・スー・チー氏の父親であるアウンサンがビルマ独立義勇軍を率いて日本軍と共に戦い、ビルマ国を建国して英国から独立。しかし、日本の敗戦が濃厚とみるや、1945年にアウンサンが指揮するビルマ国民軍は日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、英国側につくこととなる。
 アウンサンは1947年に傭兵によって暗殺されるが、アウンサンが他の2党と合同して結成した反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)は引き継がれた。1948年、英植民地体制崩壊の流れにおいて、ビルマ連邦として英国からの独立を果たし、英連邦からも離脱した。ビルマ連邦は議院内閣制(二院制)を採用し、民主主義国家を志向した。その後、中華民国や米国が反共の策動を行ったり、政権が中華人民共和国と連携したり、麻薬ビジネスの横行や宗教的対立が生じたりと、武力闘争が展開する中で国軍が徐々に力を獲得し、軍事政権の下地が整う。
 1962年、ネ・ウィン将軍がクーデターを主導し、名目上社会主義的な軍事政権を樹立するが、実質上、ビルマ社会主義計画党のネ・ウィンの独裁政権となり、1974年、国名をビルマ連邦社会主義共和国と改名した。ネ・ウィン政権時代には、反政府抗議行動も何度か起こり、政府はこれを抑圧した。
 1988年、民衆の民主化運動によりネ・ウィン体制が崩壊したが、ミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始し、国名をミャンマー連邦に改名した。総選挙の実施を公約したため、全国で数百の政党が結成され、軍部は国民統一党を結党し、体制維持を図る。民主化指導者のアウン・サン・スー・チー氏は国民民主連盟(NLD)を結党する。1990年に実施された総選挙ではNLDと民族政党が圧勝したが、軍政は選挙結果に基づく議会招集、および政権移譲を拒否して、民主化勢力の弾圧を強化する。
 独立してからのミャンマーでは、民族紛争が絶えず、そこで横行した人権侵害が報告されてきた。また、軍事政権は、2003年から2010年に亘ってアウン・サン・スー・チー氏に対して自宅軟禁と解放を繰り返した。当時の軍事政権に対する米国及びEUの経済制裁により、ほとんどの西側企業がミャンマーから撤退することになる。さらに、2007年10月11日、国連安全保障理事会は、議長声明を発出し、ミャンマー政府に対し、政治犯の早期釈放や、平和的解決、政治、経済、人道的問題、人権問題についての懸念と将来的改善を促し、ミャンマーを支援するASEAN諸国の重要な役割を強調した。*2 2008年5月2日、国連安全保障理事会は再度議長声明を発出し、上記2007年10月11日の議長声明を再度確認するとともに、ミャンマーの主権を尊重しつつも、政治的自由の確立と国連との協調を要請した。*3
 欧米による経済制裁が強化されたため、軍事政権は憲法制定を経て2010年に20年ぶりの総選挙を実施した。選挙はアウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁が解除された直後であり、軍政の承継政党が圧勝したが、テイン・セイン政権は民主化改革を進め、アウン・サン・スー・チー氏率いるNDLは政党として再登録された。但し、ミャンマー国軍は2011年の民政移管後も、連邦議会の4分の1の議席を予め国軍に割り当てられることや、同国で最も権力のある省庁を支配する権限を憲法で保障されるというシステムにより、政治権力を維持し続けた。
 2015年、民政復帰後初の総選挙が実施され、NLDが圧勝した。ミャンマー連邦共和国憲法の規定との調整の上、アウン・サン・スー・チー氏の側近のティン・チョーが連邦議会で大統領に選出され、NLD党首のアウン・サン・スー・チー氏が国家顧問、外務大臣、大統領府大臣を兼任して政権の実権を掌握した。

ミャンマーの民主化と経済制裁の解除

 ミャンマーの民主化を受け、ミャンマーに対して課されていた経済制裁は解除される。米国政府は2016年10月7日、1997年から発動していたミャンマーに対する経済制裁を全面的に解除し、「ビルマ制裁規制 (Burmese Sanction Regulation)」により特別指定国民・凍結者リスト(Specially Designated Nationals and Blocked Persons List)(SDNリスト)に掲載されていた個人や企業、団体を削除した。他の国家も、同様に経済制裁を解除する。これにより、ミャンマー政府は、海外からの支援を受け、幅広い分野で変革に取り組んできた。また、外国資本による投資の拡大や企業の参入も進みつつあった。

スー・チー政権と国軍との対立

 55年ぶりの文民政権の誕生に世界中から期待は高まったが、スー・チー政権では様々な課題が顕在化した。その一つが、ミャンマーの総人口の4%ほどを占めるといわれるムスリム(イスラム教徒)系の少数民族であるロヒンギャの問題である。軍部と少数民族の対立等により、70万人のロヒンギャの難民が発生したとされる。
 民主化運動を続けてきたNLDに政権運営の経験者は乏しく、理念と国民からの支持はあっても、政権運営は思っていたようには進まなかった。国内に20以上ある武装勢力との和平交渉は停滞し、新しい経済政策を打ち出せず、憲法改正も進展しなかった。このことにより、スー・チー氏のリーダー・シップに不満を溜めていた人がいたという見方もある。
 また、別の見方として、ミャンマーの民主化は国軍が認めた中での民主化であり、それが行き過ぎた場合において、国軍がさらなる民主化を認めなかったのだという見方は興味深い。*4 すなわち、「ミャンマーにおける2011年の民政移管は、反政府勢力の要求によって実現したものではなく、経済苦境に直面した軍が国際社会に復帰するために自ら取り組んだ「改革」であり、国軍が政治の中心であることに変わりはなかった」というのである。
 上記のように民主化改革を押し進めたテイン・セイン政権の下、自由な選挙が行われ、スー・チー政権が誕生したが、2008年に国軍が作った憲法においては、国軍に様々な特権が与えられており、最終的な拒否権は国軍が保持したままであった。2020年の選挙でスー・チー氏が率いる与党NLDが大勝し、軍の特権を認めている2008年の憲法が改正される可能性が現実味を帯びてきた時点で、国軍の許容範囲を超え、軍が「これ以上の民主化は許されない」という趣旨でクーデターを起こしたという見方である。そして、スー・チー政権は、2003年憲法の改正にこだわることで「軍との役割分担」に「失敗」したことによって、国軍との妥協点を見出すことが出来ない限度に到達してしまったとする。*4
 政治と軍の関係については、東南アジアの国々にはそれぞれ独特のものがあり、敗戦を経て憲法上は軍隊を持たなくなった我が国とは趣を異にする。タイにおいても軍政が敷かれるに至ったが、特にそのことによる経済活動の混乱はみられない。
 結局、ミャンマーにおける民主化とは、同床異夢であったということか。同床異夢はどこにでも起こりうることであるが、ミャンマーにおいては、それが、顕在化してしまった。かくして、2021年2月1日、またしても軍事クーデターが起こる。

軍事クーデターに対する国際機関・各国の動き

 2021年3月10日、国連安全保障理事会は議長声明を発出した。ミャンマーにおける引き続きの民主化を支援し、ミャンマー国民に対する人道的支援を表明し、ASEANの協力を仰いだが、*5 特に現時点では経済制裁等を決議してはいない。対ミャンマーへの経済制裁は政権とつながりが深いロシアや拒否権を有する中国が常任理事国であることを考慮すると、難しいのではないかと考えられている。
 また、日本政府も現時点ではミャンマーの情勢に憂慮しつつも、具体的な経済制裁等の措置はとっていない。
 他方、米国とEUはいち早くミャンマー軍事政権に対する経済制裁を打ち出した。

米国・EUの制裁

 米国財務省外国資産管理室(US Department of the Treasury's Office of Foreign Assets Control)(OFAC)はミャンマーの軍事クーデター以降、2021年2月10日の大統領令で対ミャンマー制裁を発表し、*6 特定の個人や団体をSDNリストに指定してきた。これにより、14名及び14機関が新たにSDNリストに追加された。*7
 米国商務省産業安全保障局(US Department of Commerce's Bureau of Industry and Security)(BIS)は2021年2月18日付の通知や同年3月3日付のFinal Ruleにより、*8 対ミャンマー制裁を実行し、4機関(the Burmese Ministries of Defense and Home Affairs、 the Myanmar Economic Corporation、 Myanmar Economic Holding Limited)をエンティティ―・リスト(Entity List)に追加した。*9

 EUはミャンマー軍事政権のクーデターを受け、2021年3月22日にクーデターに関与した軍人11名を制裁対象者のリストに追加した。
 EUは今回の対ミャンマーへの制裁よりも以前から、武器の輸出禁止、一定のデュアル・ユース(軍民両用)品目の輸出禁止、資産凍結、入国禁止等の制裁をミャンマー人に課してきた。ここには技術支援等のサービスの提供も含まれるが、対象は軍事活動に関するものに限定されている。*10

コンプライアンス上の留意点

 ミャンマーには多くの企業が進出しており、また進出しつつあるところであるが、今回の軍事クーデターを受けての制裁を踏まえて、コンプライアンス上、いかなる点に留意すべきであろうか。

(1) 管轄
 まず、上記のように制裁を発動した国家や地域の制裁法の管轄に服する行為があるか否かを検討することになる。
 米国法は米国人、米国産品、米国ドル等が関与するという、いわゆる米国とのつながり(nexus)がある場合には、その管轄が認められ、直接適用されることになる。
 米国の制裁法については、対イラン制裁のように、いわゆる二次的制裁(secondary sanction)として、米国法の管轄に服さない人であって、米国人をして制裁規制違反を引き起こす等、米国の国家安全保障を脅かすと判断される場合には、制裁規制違反を校正すると判断される場合がある。今回の米国の対ミャンマー制裁については、このような二次的制裁は想定されていない。
 EU法については、適用対象が①EU域内、②加盟国の管轄に関する船舶・飛行機の中にいる場合、③加盟国の国籍を有する自然人、④加盟国で設立された法人、⑤加盟国でビジネスを行う法人、に限定されている。
 上記分析により、各制裁法の管轄に服さないことになれば、直接の制裁違反は想定し難い。しかしながら、契約の相手方等が制裁対象者として指定されているような場合には、その関係者も含めて、より慎重な検討をすることが必要であろう。

(2) 制裁規定への該当可能性
 上記検討により、管轄が認められる場合には、より具体的に該当行為がそれぞれの条項に該当するかを検討することになる。
 例えば、現時点での制裁は軍事政権に貢献するようになる相手方や行為を限定的に指定している。そのような相手方でないか、行為でないかを具体的に条項に照らし合わせて検討することになる。この点、契約書相手方が複数である場合や、関係者が広範に及ぶ場合等は特に注意が必要となる。

(3) コンプライアンス条項
 ミャンマー関連で、これから契約を締結する場合や、現行の契約を見直すような場合には、現行、及び今後の対ミャンマー制裁に抵触して責任を負うことがないように、契約条項のカバー範囲を確認し、可能であれば明示しておくことが望ましいといえる。

今後の対応

 2021年2月1日に軍事クーデターが発生してから、ミャンマーにおける情勢は日々動き、見方によっては悪化しているように映る。現地職員の安全管理とともに、制裁規制に抵触するリスクについては常にアップデートが必要になると考えられる。そして何よりも、現地の罪なき人々に一日も早く平和が訪れるように、関係各国や国際機関の連携が重要な意味を帯びる。

出典:
・中西嘉宏「【解説】ミャンマーで無血クーデターが起きた本当の理由」2021年2月21日FNNプライムオンライン
・樋口建史「クーデターはなぜ起きた?国軍の認識の甘さも 前駐在ミャンマー大使に聞く」2021年2月21日東京新聞

出典

・*1 日本経済新聞2021年5月4日付朝刊「消えた『スー・チー氏解放』-ASEAN首脳会議検証、結束の演出に腐心」

・*2 Statement by the President of the Security Council (S/PRST/2007/37), 11 October 2007
http://www.securitycouncilreport.org/atf/cf/%7B65BFCF9B-6D27-4E9C-8CD3-CF6E4FF96FF9%7D/Myan%20S%20PRST%202007%2037.pdf

・*3 Statement by the President of the Security Council (S/PRST/2008/13), 2 May 2008
http://www.securitycouncilreport.org/atf/cf/%7B65BFCF9B-6D27-4E9C-8CD3-CF6E4FF96FF9%7D/Myan%20S%20PRST%202008%2013.pdf

・*4 川村晃一「ミャンマーのクーデターはインドネシアに電波するか?」
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=1226

・*5 Statement by the President of the Security Council (S/PRST/2021/5), March 10, 2021
https://www.securitycouncilreport.org/atf/cf/%7B65BFCF9B-6D27-4E9C-8CD3-CF6E4FF96FF9%7D/s_prst_2021_5.pdf

・*6 E.O. 14014 (February 10, 2021)
https://home.treasury.gov/system/files/126/14014.pdf

・*7 SDN Designation (February 11, 2021) 等
https://home.treasury.gov/policy-issues/financial-sanctions/recent-actions/20210211

・*8 Burma: Implementation of Sanctions (February 18, 2021) 等
https://www.federalregister.gov/documents/2021/02/18/2021-03350/burma-implementation-of-sanctions

・*9 Addition of Entities to the Entity List (March 8, 2021)
https://www.federalregister.gov/documents/2021/03/08/2021-04794/addition-of-entities-to-the-entity-list

・*10 Official Journal of the European Union
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=OJ:L:2021:099I:FULL&from=EN

関連ページ

・香港をめぐる米中の駆け引き-米国香港自治法と香港国家安全法-
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=1219

・ミャンマーのクーデターはインドネシアに伝播するか?
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=1226

・海外子会社のコントロール -緊急事態時に駐在員を戻せるか-
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=1213

末冨 純子

弁護士(日本国・米国ニューヨーク州)(ベーカー&マッケンジー法律事務所)、 早稲田大学法学部非常勤講師、日本国際経済法学会所属、東京弁護士会人権擁護委員会委員長、法務省司法試験考査委員、財務省関税・外国為替等審議会専門委員

国際通商法、経済法、商取引法等を中心に実務に携わる。

<主要著作>
『Q&A FTA・EPAハンドブック』(民事法研究会、2013)
『国際投資仲裁ガイドブック』(中央経済社、2015)
『書式 会社非訟の実務』(共著、民事法研究会、2008)等多数

 
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