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インドネシアにおける民主主義の後退

川村 晃一

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アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2021年05月24日

 ミャンマーにおける軍事クーデタ後の政治情勢は混沌としている。国軍は民政の復帰に応じる気配はない。一方で、軍の激しい弾圧にもかかわらず市民による抗議運動も粘り強く続けられている。これに対して、欧米諸国は軍幹部や軍系企業を対象とした経済制裁を発動するなど、国軍に対する圧力を徐々に強めている。
 東南アジアのなかでは、インドネシアが積極的な動きを見せている。クーデター直後から、インドネシア政府は東南アジア諸国連合(ASEAN)が事態の解決に向けて主導的な役割を果たすべきだとして周辺諸国に働きかけると同時に、自らも軍政幹部に暴力行為を自制するよう呼びかけている。
 このように、ミャンマー問題では「民主化」の先輩国として主導的な役割を果たそうとしているインドネシアだが、国内では民主主義が後退しているとの評価が大きくなりつつある。前回の記事で筆者は「インドネシアではミャンマーのような軍事クーデターが起こる可能性は低いが、民主主義の質が低下しつつある」と指摘した。今回はインドネシアの民主主義が1998年の民主化から23年を経て、いまどのような状態にあるのかを考える。

■世界的な「民主主義の後退」と東南アジア

 「民主主義の後退」は、過去10年ほど世界各国でみられる現象である。それはブラジル、トルコ、ハンガリー、インドなど新興国にとどまらない。世界で最も民主主義の長い歴史を持つとされたアメリカ合衆国においても同様の現象が起こった。これらの国々における「民主主義の後退」現象において特徴的なのは、選挙で選ばれた政治指導者が民主主義を破壊する動きを主導している点である。ここで例としてあげた国々では、ブラジルのボルソナロ大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相、インドのモディ首相、そしてアメリカのトランプ大統領らがそれにあたる。
 東南アジア諸国ではどうだろうか。ここでは、スウェーデンのヨーテボリ大学に設置されているV-Dem(Varieties of Democracy)研究所が製作しているデータをもとに東南アジア諸国の民主主義の現状を確認してみる。
 図1は、選挙の公正さや自由が保障されている度合を表す「選挙民主主義指標」でみた東南アジア6カ国を表している。クーデターが発生するまでのミャンマーや2018年に史上初の政権交代が実現したマレーシアでは民主主義度が上昇した一方、2006年と2014年に立て続けにクーデターが発生したタイ、フン・セン首相率いる人民党の独裁化が進むカンボジア、ドゥテルテ大統領下のフィリピンでは民主主義度が低下していることがわかる。インドネシアの指標も低下する傾向にあるが、スコア自体はまだ安定した民主主義国のレベルを維持している。

図1 選挙民主義指標でみる東南アジア<br />
(出所)V-Dem data(https://www.v-dem.net/)より筆者作成。

図1 選挙民主義指標でみる東南アジア
(出所)V-Dem data(https://www.v-dem.net/)より筆者作成。

 一方、法の支配や権力の分立が確立されているかを示す「自由民主主義指標」で同じ東南アジア6カ国をみると、図1の「選挙民主主義指標」と同様の傾向がみられるものの、スコアが非常に低い水準にとどまっていることがわかる。インドネシア単独の民主主義指標でも、「選挙民主主義指標」に比べて民主主義の他の側面を測定する指標が低い水準にとどまるという同様の傾向がみられる(図3参照)。

図3(注)Deliberative Democracy Indexは熟議民主主義指標、Participatory Democracy Indexは参加民主主義指標、Egalitarian Democracy Indexは平等民主主義指標を表す。

図3(注)Deliberative Democracy Indexは熟議民主主義指標、Participatory Democracy Indexは参加民主主義指標、Egalitarian Democracy Indexは平等民主主義指標を表す。

 つまり、東南アジアでも「民主主義の後退」という現象がみられるが、とくに問題なのは「選挙が公正に実施されているか」という点以上に、「法の支配が実現されているか」や「基本的人権が守られているか」といった点である。それは、東南アジアのなかでは最も民主的と評価されるインドネシアにおいても同様のことがいえる。
 それでは、インドネシアにおける「民主主義の後退」は、具体的にどのような現象として表れているのだろうか。ここでは自由主義的価値の浸食と水平的アカウンタビリティーの低下という2つの側面に注目してみる。

■自由主義的価値の浸食

 自由主義的価値とは、市民的自由や個人の権利の保護、そのための法の支配の貫徹といったものを含んでいる。民主主義が「多数者の専制」に陥らないために必要な価値であり、これを通じて多様な集団が共存できる社会を維持していこうとする考え方である。インドネシアは700以上のエスニック集団からなる多民族・多宗教の国家だけに、少数派グループであっても抑圧されることがないよう個人の権利を保護し、属する集団を理由に恣意的に権力が行使されないよう法の支配を貫徹することが民主主義の安定にとっては重要である。実際、1998年に民主化したインドネシアは、個人の権利を保障するという制度的枠組みを整えることで、国を分裂させることなく民主主義体制への移行を実現できた。
 しかし、2010年代以降、自らと異なるアイデンティティーをもつ人々に対する寛容さが次第に失われていく。2000年代半ばにテロ活動を活発化させたイスラム過激派とは別に、イスラム的価値観が政治・経済の場で実現されることを目指すイスラム主義を掲げるグループが台頭した。「イスラム保守派」とも呼ばれる彼らは個人の権利の平等ではなく、国民の約90%が信仰する多数派イスラムの優越性を主張した。
 このような動きは「多様性のなかの統一」を国是に掲げてオランダ植民地から独立したインドネシアの国家的基礎を掘り崩すものであるため、政府はこれを抑え込もうとした。2013年には「大衆団体法」という法律を改定して、国家の統一を乱すような団体の設立を禁止し、さらに2017年にはこの法律を政府が一方的に改正して、司法手続きを経ずにそのような団体を解散できるようにした。実際、2017年、2020年と、イスラム主義を掲げる団体が一方的に非合法化され、解散させられた。さらには、スハルト独裁体制下で反体制派を抑圧する手段として使われた公定イデオロギー「パンチャシラ(建国5原則)」を復活させる動きも進められている。

■水平的アカウンタビリティーの低下

 水平的アカウンタビリティーとは、権力主体の間に抑制と均衡を働かせることで、特定の政治家や政治グループによる権力行使が暴走することを防ぐための制度的仕組みである。民主化後のインドネシアでは、32年間という長期のスハルト独裁政権を許した反省から、権力分立の仕組みと大胆な地方分権化が進められ、権力が一点に集中しない制度が作り上げられた。権力の相互監視が可能になると同時に、それによって多くの政治家や政党が権力機構に参画できるようになったことで、皆が民主政治への参加に利益を見出し、民主主義を安定させる機能も果たした。一方で、多数の権力主体が政治プロセスに参加するようになったことで、政策の決定や執行に多大なエネルギーと時間を費やす必要が生じ、「決められない政治」の一因にもなった。
 こうして民主化のなかで構築された権力分立の制度も、2019年頃から修正を迫られつつある。2019年9月には、市民社会の強い反対にもかかわらず、準司法機関として汚職事件の取り締りにあたってきた汚職撲滅委員会(KPK)の独立性と権限を弱める法改正が強行された。汚職撲滅委員会は、スハルト独裁体制下ではびこった汚職を撲滅するため、強い捜査権限と公訴権を与えられた独立の国家機関で、現職閣僚や国会議員が関与したものであっても容赦なく汚職事件を摘発してきた。同委員会は、摘発の対象となっていた政治家や役人からは長く敵対視されていたが、同委員会の活動によって行政の裁量が狭められ、効率的な政策遂行が妨害されていると考えていた政府は、立法府と結託して権力を監視する機能を弱体化させたのである。
 その立法府の監視機能も弱体化しつつある。2014年に発足したジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権は、野党の党内権力闘争に介入して親大統領派に党を掌握させたうえで、野党を与党に寝返らせていった。その結果、第1期政権では与党連合が国会議席の69%を、2019年からの第2期政権では74%を占める状態が生み出され、野党は力を失った。さらに、第2期政権では、大統領選を戦った相手であるプラボウォ・スビアントとサンディアガ・ウノの2人の正副大統領候補を閣内に迎え、政権外の反対勢力をことごとく懐柔していったのである。

■「民主主義の後退」の背景にあるもの

 インドネシアで「民主主義の後退」が進んでいる要因の第1は、イスラム保守派の台頭による社会の分断の深刻化である。イスラムの優越性を主張するイスラム保守派も、それに対抗しようと「多様性のなかの統一」を守ろうとする世俗派も、自らの主張を押し通すことばかりを考え、自らの行動が他者の権利を侵害することには無頓着である。さらには、そうした対立がソーシャルメディアによる世論の動員や世論の操作によって増幅され、社会の分断がますます深くなっていく状況にある。
 もう1つの要因は、ジョコウィ政権の前のスシロ・バンバン・ユドヨノ政権期に始まった「新しい開発主義」の動きである。政府が主導して産業振興政策などを実行していく「上からの開発」は、スハルト独裁政権の下での高度経済成長を実現したが、富の集中、クローニー資本主義、赤字国営企業など非合理的、非効率的な経済運営につながったとして、アジア通貨危機後の経済改革のなかで放棄されたものである。しかし、新興経済大国と言われながら経済成長の面でタイやベトナムなどの周辺諸国に後れをとっているという焦りがインドネシア政府にはある。そのような焦りが、再び政府に開発主義的な経済運営を採らせている。
 開発主義的な経済運営を進めたい政府にとっては、市民的自由よりも政治的安定と公共の利益の方が優先されるし、民主的な手続きや熟議よりも素早い意志決定と実行が重要である。ジョコウィ政権は、政府を批判する学生運動やNGO活動家らを「フェイクニュースやヘイトスピーチを拡散させている」といった理由で取り締まるなど、政治的な安定を理由に個人の権利が浸食されるという事態が進行している。

出典

・V-Dem data
https://www.v-dem.net/

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川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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