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止まらないコロナの感染拡大、苦戦続くインドネシア

川村 晃一

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アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2020年11月25日

 インドネシアで新型コロナウイルスの感染者が確認されてから半年が経った。東南アジアでは感染拡大を制御することに比較的成功している国が多いが、インドネシアはフィリピンと並んで、新型コロナ対策に失敗した国にあげられている。
 しかも、実際の感染状況は数字以上に深刻だと考えられる。インドネシアでのPCR検査数は1日あたり1万~2万人と、日本と同様に世界水準からするとかなり少ない。そのうえ、地方自治体の首長の一部には、感染者数が増加している実態を明らかにすると対策不備の責任を追及されることを恐れて、実際よりも過小に数値を報告している者もいることが報告されている。
 インドネシアは新型コロナの収束どころか、感染のピークさえ迎えていない状況にある。

経済優先、個々人の対策も不十分

 インドネシアにおける新型コロナ対策がうまくいっていない理由のひとつは、政府の経済優先の姿勢にあるのではないかと思われる。
 前回の記事で書いたように、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権は新型コロナ対策の初動で出遅れただけでなく、都市封鎖など経済活動を厳しく制限する措置に対しては一貫して後ろ向きの姿勢を示してきた。政府は4月10日に日本の緊急事態宣言に似た「大規模社会制限(PSBB)」を感染の拡大した地域で開始したが、感染状況が落ち着きを見せ始めるどころか、いまだに感染拡大が懸念されているにもかかわらず、6月5日からは活動制限の一部緩和に踏み切った。その結果、ジャカルタ市内では交通渋滞や鉄道のラッシュが戻り経済活動が再開されたが、官公庁やオフィス、工場などでのクラスター発生が数多く報告されるようになっている。

 市民の対策も十分とはいえない。1人ひとりができる感染対策としては、手洗いやうがい、マスクの着用、ソーシャル・ディスタンスの確保、三密(密閉・密集・密接)の回避などがある。
 インドネシア国民の9割を占めるイスラム教徒は1日5回の礼拝の前に必ず手足を洗う習慣があるので手洗い対策は比較的実行されているが、それ以外の対策については必ずしも励行されているとはいえない。政府もこれらの対策をとるよう呼びかけてはいるが、罰則などを伴う強制的な措置をとるには至っておらず、効果は上がっていない。

ジョコウィ大統領の支持率は安定

 感染拡大を抑えきれないインドネシア政府に対して、海外メディアなどは批判を強めているが、国民は政府の対策をそれほど問題視していない。有力世論調査会社インディカトールが実施した全国世論調査(Indikator 2020)では、政府の新型コロナ対策に満足していると答えた人の割合が、5月時点では56.4%と2月の70.8%から大きく低下したが、7月になると60.2%に回復している。ジョコウィ大統領の政権運営に満足していると答えた人の割合も、第2期政権発足直前の2019年9月の71.8%からは徐々に低下しているとはいえ、7月時点で65.2%と大きく落ち込んではいない。

 感染拡大を抑えられていないにもかかわらずジョコウィ大統領の支持率が低下しない理由のひとつは、批判の矛先をうまく逸らすことに成功している点があげられる。ジョコウィはインドネシアの感染状況は欧米諸国やインド、ブラジルなど感染が爆発した国々に比べればずっと少ないと述べ、政府の対策が失敗ではないことをアピールしている。
 また、大統領はワクチン開発への積極的な関与をアピールすることで、2021年には感染が抑制されるというイメージを国民に植え付けようとしている。ワクチンを早期に調達するため政府は積極的な外交を展開しており、中国、韓国、アラブ首長国連邦(UAE)政府との間でワクチン開発に関する協力についてすでに合意している。両国製薬企業はワクチンの開発、供与、また開発後の国内生産などの面で協力する方向である。国営製薬会社ビオ・ファルマは、中国の製薬会社シノバックとの協力の下、インドネシア国内でのワクチン臨床試験をすでに始めた。早ければ2020年末にもワクチンの供与が始まることが政府から発表されている。

 一方、市民の批判の矛先は大統領本人ではなく閣僚に向けられている。とくに、担当閣僚にもかかわらず当初から新型コロナウイルスに対する危機意識が低く、感染が広がってからも影の薄いテラワン・アグス・プトラント保健相については、上記の世論調査でも「新型コロナ対策で信頼できる」と答えた人の割合が38.9%にとどまるなど批判の的になっている。
 政府が3月から6月にかけて打ち出した各種の経済対策や社会的弱者の支援策については、予算の執行が遅れていることや実施に不適切な点があることがしばしば指摘されている。しかし、ジョコウィ大統領が担当閣僚に対して危機意識の不足を閣議で強く叱責したことで、対策の遅れなどの責任は大臣にあるという認識が国民の間には広がり、内閣改造をすべきだという考えに支持が集まっている。

経済の落ち込みは限定的

 ジョコウィ大統領も、経済対策が思うように実行されていない点については危機意識を持っている。そこで、大統領は「新型コロナウイルス対策・国民経済回復委員会」を7月20日に設置した。委員長にはアイルランガ・ハルタルト経済担当調整相が任命されるとともに、大統領の信頼の厚いエリック・トヒール国営企業相が事務局長に任命され、この委員会が感染症対策と経済対策に関する政策を立案していくとともに、政策の実施状況を監督していくことになった。
 委員会にはアイルランガとエリックのほかに、海事・投資担当、政治・法務・治安担当、人間開発・文化担当の各調整相、財務相、内務相、保健相が加わっている。この他の事務局担当者も、新型コロナ対策タスクフォース代表である国家災害対策庁(BNPB)長官以外は経済関連の省庁出身者である。この委員会の構成からも、ジョコウィ政権の新型コロナ対策が経済優先であることが分かる。
 感染症対策よりも経済対策を優先してほしいというのは、市民の要望でもある。とくに社会の中下層の人々にとって、感染症対策のために長期にわたって経済活動を制限することは、生存の危機に直結するだけに支持できない。ある研究(Suryahadi, Izzati & Suryadarma 2020)によると、経済的影響が最もシビアなものとなった場合、2020年末までに約850万人が貧困層に転落し、人口に占める貧困層の比率が2019年9月の9.2%から12.4%に高まると予想されている。これは、過去10年間で達成した貧困削減の努力が水泡に帰すことを意味しており、政府としても看過できない数値である。
 市民の社会経済活動を厳しく制限しなかった分、これまでのところインドネシア経済の落ち込みは厳しい措置をとった国に比べると限定的である。経済成長率は、感染が拡大する前の第1四半期が3.0%(前期比マイナス2ポイント)に、そして大規模社会制限が実施された第2四半期はマイナス5.3%と大きく落ち込んだとはいえ、厳しい感染症対策をとった近隣諸国――マレーシアのマイナス17.1%、フィリピンのマイナス16.5%、シンガポールのマイナス13.2%、タイのマイナス12.2%――ほど深刻ではない。世界銀行、IMFなどの国際機関が発表した2020年の経済成長率の予測も、0~マイナス3%ほどに抑えられている。インドネシア政府も、2021年には成長率が4.5~5.5%にV字回復するとの見通しを示している。

 このような政府の見方に対しては、楽観的すぎると批判する企業経営者もいる。経済の回復は世界経済の動向にも左右される。また、投資などの経済活動が回復するかどうかは、感染拡大を抑制できるかどうかにもかかってくるだろう。
 中長期的には新型コロナ対策で増加する財政負担にも注意が必要である。コロナ禍で改定された2020年度補正予算では、感染症対策と経済対策として695.2兆ルピア(約5兆円)が新たに計上された。その結果、財政赤字は国内総生産(GDP)比で6.3%に膨らんでいる。8月に政府が国会に提出した2021年度予算案においても感染症・経済対策として356.5兆ルピア(約2.6兆円)が計上された結果、財政赤字はGDP比5.5%に達する見込みである。公的債務は2020年度に6230兆ルピア(約45兆円)、2021年度には7188兆ルピア(約52兆円)まで膨らむとみられている。一方で、インドネシアの新型コロナ対策予算はGDP比で4.2%と他国に比べると規模が小さく、より大きな財政出動を求める声もある。政府は新型コロナ対策を始めるにあたって法律を改正し、財政赤字をGDP比で3%以下に抑える規定を2023年まで緩和したが、積極的な財政政策を求める声と財政規律の間で難しい舵取りを求められる。

出典

・Indikator. 2020. “Perubahan Opini Publik Terhadap COVID-19: Dari Dimensi Kesehatan ke Ekonomi?” [新型コロナウイルスに対する国民の意見の変化:保健から経済へ?] Temuan Survei Nasional: 13-16 Juli 2020 [2020年7月13~16日の全国世論調査の結果], Indikator. Suryahadi, Asep, Ridho Al Izzati, and Daniel Suryadarma. 2020. “The Impact of COVID-19 Outbreak on Poverty: An Estimation for Indonesia,” SMERU Working Paper, The SMERU Research Institute.

関連ページ

・インドネシア政府のコロナ対策に国民の厳しい視線
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・インドネシアの首都移転は本気か?
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・【世界の統計局】インドネシア
https://gmc.nikkei-r.co.jp/stat_area/?search_ext_col_01=01&topics_ext_options_search=1#area244

川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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