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インドネシア政府のコロナ対策に国民の厳しい視線

川村 晃一

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アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2020年06月30日

 インドネシアにおける新型コロナウイルスの感染は、いまだ収束の見込みが立っていない。感染が確認された人数は6月6日に3万人を超えた (図1参照)。この日死者数も1800人を超えた (図2参照)。感染者が集中しているのはジャワ島で、感染者全体の6割以上を占める。とくに首都ジャカルタ特別州が全体の4分の1以上と突出している。

 ただし、近隣諸国などと比べると、インドネシアの状況がとくに深刻というわけではない。感染者数は検査数との関係もあり単純な国際比較には適さないが、外国人労働者の間での感染爆発が発生したシンガポールの3万6000人以上が東南アジアでは最大の感染者数である(図3参照)。人口10万人あたりの感染者数でみても、インドネシアは6月第1週時点で約10人と日本よりも低いレベルだった (図4参照)。死者数は東南アジアで最大となっているが、人口あたりの数値で比較すると10万人あたり0.7人で、ほぼ日本と同じレベルにある (図5参照)。

 それでも政府の新型コロナ対策に対する国民の視線は厳しい。感染者のとくに多い7つの州で実施された世論調査では、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権の対策を不満だとする意見が過半数を超えたという結果も出ている。その要因を考えると、日本における新型コロナ対策とそれに対する国民の不満と似たような関係が見出される。それは、中央政府の対策に迅速性が欠けることだったり、地方自治体との軋轢が顕在化したことだったりしているところである。

経済優先、遅れた感染拡大への対応

 東南アジアでは1月中旬から下旬にかけて新型コロナウイルスの感染者が次々と確認され、各国政府が対策に乗り出した。しかし、シンガポールやマレーシア、フィリピンなどで感染者数が日に日に増加していくなかにあって、インドネシアでは感染者がまったく確認されないという状況が続いた。隣国での感染が広がっているにもかかわらずインドネシアで感染者が出ていないとは考えにくかったが、担当閣僚である保健相からは「インドネシア人はお祈りをしているから感染しない」などと冗談ともつかない発言が出るなど、政府の危機意識は低かった。
 専門家から、「医療機関の能力的な問題から感染が確認されていないだけでウイルスが国内に入ってきている可能性が高い」という指摘があっても、政府は「準備はできている、能力的にも問題ない」と反論した。むしろ政府は、感染の拡大よりも、観光客の減少や世界経済の成長減速による経済的影響をどう緩和するかということに関心が高いようだった。一般市民の間でも、2月中は新型コロナウイルスといっても他人事のように受け止める人の方が多かった。
 ところが、3月2日に国内で初めての感染が確認されると、その後は感染者が急激に増えていった。最初の感染確認から2週間と経たないうちに感染者は100人を超え、3月末には1500人を超えた。3月11日には初の死者が出た。3月13日には、閣僚のひとりブディ・カルヤ運輸相の感染も発覚した。
 しかし、そのような状況下でも、ジョコウィ政権の危機意識は低かった。閣僚からは相変わらず感染の拡大に否定的な意見が出され、ジョコウィ大統領も手洗いとマスク着用で感染拡大を防ぎ、都市封鎖(ロックダウン)は行わない考えを早い段階から示した。
 経済対策についても、3月23日に製造業に対する特別減税策などが発表されたが、一般市民に対する支援としては、職業訓練プログラムの拡充が打ち出されただけだった。このプログラムは、2019年4月の大統領選で再選されたジョコウィ大統領が、人材の高度化を実現するために第2期政権の目玉政策として掲げていたものである。新型コロナ禍による生活の苦境を救うというよりも、経済成長につながるような人材を育成することが政策の目的であり、雇用全体が縮小するなかではたして適切な政策なのかは疑問であった。

企業寄りの法案に批判

 このように政府のコロナ対策が後手に回ってしまったのは、最終任期に入ったばかりのジョコウィ大統領にとって、第1期の5年間の成長率が5%にとどまった経済成長を引き上げることが最大の政策課題であるにもかかわらず、2期目に入った後も思うように政策が前に進まない焦りがあったからではないかと思われる。ジョコウィ大統領としては、経済成長に足かせとなるような政策には躊躇せざるをえなかった。また、感染拡大そのものを防止することよりも、新型コロナによる経済的な悪影響をいかに食い止めるかということの方が、ジョコウィ大統領にとっては関心事だったのである。
 しかも、コロナ対策に集中すべき時に、国内で意見が割れていた重要な法案の審議を強引に進めようとしたために、政府は強い批判にさらされた。ジョコウィ大統領は、経済成長を促進するために雇用創出法を制定することを2期目の就任演説で約束していた。同法案は「雇用創出」という名前が付けられているが、許認可の簡素化や規制の緩和を通じて投資環境を改善することを目的としており、それらを規定しているさまざまな法律を一括して改正することを目指しているため「オムニバス法」と呼ばれている。
 しかし、この法案のなかには、労働者の権利保護に重点を置く労働法を改正して労働市場の流動性を高めるための規定や、環境保護に関する規制を緩和するための規定などが含まれており、内容があまりに企業寄りだとして労働組合や環境保護団体などのNGOから強い批判が出されていた。そのため、当初は2019年内を予定していた法案の国会提出は今年2月にずれ込み 、その後の審議もなかなか進まなかった。
 ところが、3月に入ってコロナ対策が急務になったにもかかわらず、政府と与党は同法案の審議を強引に進めようとした。6政党からなる連立与党は国会の74%を占めており、与党内の合意がとれれば法案の可決は確実だった。法案が可決されれば、コロナ禍で雇用環境が悪化するなか、企業による解雇や賃金引き下げが容易になることが予想された。危機感を抱いた労働組合などは、コロナ感染の危険を冒してでも大規模なデモをジャカルタなどの各都市で組織することを発表した。世論の反発も強まったため、政府と連立与党はオムニバス法のなかの労働関連条項に関する審議を延期すると発表せざるをえなかった。

各州知事がリーダーシップ発揮、次期大統領選の有力候補に

 4月に入ると、感染拡大のスピードはさらに増して いった。新規の感染者は1日あたり200人を超え、400人に達する日もあった。累積の感染者は4月中旬には5000人、4月末には1万人を超えた。 死者も4月末には800人に迫り、医療関係者の死亡も相次いだ。
 感染の急速な拡大と、それに対する政府の対応の遅さに危機感を抱いたのが、地域社会である。政府の意向とは関係なく、集落レベルで部外者の立ち入りを自主的に制限する動きが各地で相次いだ。
 地域での感染拡大に直面した地方自治体も、中央政府の危機感のなさと対応の遅さに苛立った。とくに感染の中心地であった首都ジャカルタの州政府は、中央政府の対策に対する不満を露わにした。ジャカルタ州知事のアニス・バスウェダン氏は、3月の州内における新型コロナ死者数と埋葬数に大きな差があるとして保健省の発表する数値に疑義を示したり、ジャカルタに非常事態を宣言して都市封鎖を実行する方針に言及したりするなど、中央政府の対策に対する不信を隠さなかった。
 ジョコウィ政権は3月末になってようやく国民の社会経済活動を制限せざるをえないと判断し、「公衆保健緊急事態」を宣言するとともに、地方政府からの提案にもとづいて「大規模社会制限(PSBB)」を実施する方針を決定した。ただし、この大規模社会制限は、欧米で実行されている強制力を伴う都市封鎖ではなく、日本の「緊急事態宣言」に似た、国民や企業に自主的な活動制限を要請する措置である。それでもジャカルタ州はすぐに中央政府に対して大規模社会制限の実施を提案し、4月10日から実行に移した。感染が拡大している他の地域でも大規模社会制限が実施され、4月末までに西ジャワ、西スマトラなど4つの州と、ジャカルタ周辺などの12県・市に広がった。
 しかし、運の悪いことに、インドネシアは4月24日からイスラム教徒の断食月に入った。通常は断食月明けの大祭にあわせて多くのイスラム教徒が帰省する。その数は2000万人にものぼるとされるが、コロナ禍のなかで例年のような大規模な帰省が発生すれば、都市部の感染者が地方に拡散してしまうことが予想された。都市部に比べて医療インフラが脆弱な地方の自治体は、そのような事態は何としてでも避けたいところだった。
 ところが、断食月の帰省にどう対処するかという点についても中央政府の対応は遅かった。政府が帰省を禁止すると発表したのは断食月が始まるわずか2日前、しかも最初の2週間はとくに取り締りをしないというものだった。今年は政府による帰省禁止措置を見越して早めに帰省が始まっていたことから政府の対応が遅いと批判されると、ジョコウィ大統領は「(断食前に)故郷に帰る」ことと「(断食期間中の)帰省」は異なると弁明し、それがまた批判された。地方政府は、都市部の住民に対して「故郷の家族を守るために、今年は帰省しないで」と要請するしかなかった。
 ジョコウィ政権の経済対策に対する不満も地方自治体には渦巻いている。中央政府は、3月末になってようやく貧困層を対象にした食料・生活必需品の給付や現金の給付などの施策を発表したが、給付が遅れたり、対象者に正確に届かなかったりといった問題が多発した。中央政府が保有する給付対象者のリストがアップデートされていないことや、省庁によって保有するデータが異なっていることなどがその原因であった。
 中央政府の対応の遅さにしびれを切らした地方自治体は、それぞれの地域の実情に合わせたコロナ対策を展開している。対策にリーダーシップを発揮する地方首長に対する住民の評価も高い。ジャカルタ州のアニス・バスウェダン知事、西ジャワ州のリドワン・カミル知事、中ジャワ州のガンジャル・プラノウォ知事らコロナ対策の最前線に立つ地方首長は、実は2024年に予定されている次の大統領選における有力な候補者でもある。彼らにとっては、今後の政治キャリアのためにも、コロナ対策で失敗するわけにはいかないのである。

制限緩和の一方で、感染拡大の懸念

 政府は6月5日、ジャカルタにおける大規模社会制限の一部解除を決定した。今後は感染状況などを見ながら段階的に経済社会活動を再開していく方針である。ジャカルタでは交通渋滞や通勤ラッシュに悩まされる日々が戻ってきた。ジョコウィ大統領は新型コロナウイルスとともに生きることは避けられないと、ニューノーマルの生活(新しい生活様式)への移行を徐々に進めると表明している。
 しかし、感染の拡大は収束に向かうどころか拡大しているようにみえる。毎日の新規感染者数は5月第3週の平均が614人、第4週が631人、6月第1週が615人と推移していたが、制限一部解除以降の1週間における新規感染者は6月10日に過去最高の1241人を記録するなど、平均すると1日925人と急増している。感染地域もジャカルタだけでなく、東ジャワ、南スラウェシ、南カリマンタン、南スマトラ、パプアなど全国に広がりつつある。このような状況での制限緩和によって感染がコントロールできなくなる事態が懸念されている。

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川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアI研究グループ長
主な著書に、『教養の東南アジア現代史』(編著、ミネルヴァ書房、2020年)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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