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プログラム|特別講義 -専門家に聞く-

日・EU EPA署名と新たな競争

末冨 純子

弁護士(日本・米国ニューヨーク州)、早稲田大学法学部非常勤講師 東京弁護士会人権擁護委員会副委員長

プロフィール詳細

アカデミック|グローバル|その他|2018年09月07日

はじめに

 2018年7月17日、日・EU EPAが署名された。これにより、世界の国内総生産(GDP)の約3割を占める自由貿易圏が誕生する。
 関税分野では、農林水産品と鉱工業製品を合わせて、日本側が約94%、EU側が約99%を撤廃し、世界貿易の約4割を占める世界で最大規模の自由貿易圏となる。

日・EU EPA署名の意義

 このタイミングで日・EU EPAが締結されたことには、どのような意義を見出すことが出来るだろうか。

(1) 保護主義への防波堤

 通商を巡る紛争が後を絶たない。

 トランプ政権による、通商拡大法第232条(Section 232 of the Trade Expansion Act of 1962, as amended (19 U.S.C. 1862))に基づく国家安全保障(national security)を理由とした、鉄鋼(25%)とアルミニウム(10%)に対する関税を賦課した措置(以下「232条措置」という)に対しては、中国(DS544)、インド(DS547)、EU(DS548)、カナダ(DS550)、メキシコ(DS551)、ノルウェー(DS552)、ロシア(DS554)、スイス(DS556)がWTOに提訴をしている。
 また、米国の追加関税に対する報復関税に対しては、米国が、カナダ(DS557)、中国(DS558)、EU(DS559)、 メキシコ(DS560)、トルコ(DS561)を相手に、WTOに提訴をしている。

 EUは、232条措置の影響を測るべく、2018年3月26日に鉄鋼に対するセーフガードの調査を開始したが、その結果として、同年7月19日にセーフガード措置を発動した。今回のセーフガード措置は、鉄鋼23品目を対象に関税割当枠(クォータ)を設定し、EUへの過去3年間の輸入実績の平均に基づく割当枠を超過した場合、その時点から25%の関税を課すというものである。

 これらは一連の「貿易戦争」の一部に過ぎないが、そこだけを客観的に眺めると、各国が自らは保護主義に動きつつも相手方の保護主義的措置は非難するという、保護主義の応酬のような錯覚を持たれかねない。
 そのような中にあって、大きな自由貿易圏の新しい出現は、今後、上記のような流れを前提に二国間の自由貿易協定の交渉等が進行することに対する、一定の防波堤の役割を期待されている。先般署名されたCPTPP(TPP11協定(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定))と並んで、自由貿易協定の「既定路線」となるべく期待されて誕生したのが日・EU EPAである。

(2) 中・EU接近への流れ

 米国が自国中心主義に陥っている中、中国は「一帯一路」構想により、地域連携を欧州にまで伸ばそうとしており、EUもこれに関心を示している。また、EUとのFTAは、日本よりも韓国が先行している。
 このような中、EUと地理的な隔たりがある日本は、欧州との関係構築について他のアジア諸国に先行してEUとの相互のマーケット・アクセスを高めることにより、アジアから欧州へと続く巨大な貿易圏に自らを組み込んだ。

 中・EU接近の中、中国による知的財産権の侵害については、EUは客観的に問題を提起する。
 米国は、2018年4月4日、通商法301条に基づき、中国の知的財産権侵害に対して制裁措置を発動するとして1,300品目を公表した。想定輸入額は500億ドル(約5兆3,000億円)である。5月までに一般から意見を募った上で、同年6月15日に品目を確定し、トランプ大統領が発動を判断して発表した(以下「301条措置」という)。まず同年7月6日に、産業用ロボット、電子部品、自動車を含む818品目(340億ドル)に対して発動し、残り284品目(160億ドル)については、時期を検討中である。米国は、同じ中国の知的財産権侵害について、WTO紛争解決手続きに基づいて中国に協議要請を行っており(DS542)、並行して、これをWTO紛争解決機関において解決する手続きも進行させている。EUも、同年6月1日、中国の知的財産権の侵害についてWTOに協議要請を行った(DS549)。

 これに対し中国は、上記米国公表の同日である2018年4月4日、上記301条措置への対抗手段として25%の追加関税を準備する106品目を発表した。中国政府は、米国の301条措置に対する「セーフガード」であると位置づけているようだ。さらに、301条措置発動発表の翌日である2018年6月16日、発動額と同額である500億ドル(約5兆3,000億円)の報復関税の賦課を発表した。対象は、自動車、大豆・牛肉を含む農産品、水産物、ウィスキー、タバコ等である。
 この動きに対応して、同年6月18日、トランプ大統領は、USTR(米国通商代表部)に2,000億ドル(22兆円)の追加関税賦課の検討を指示した。もはや事態は追加関税賦課のチキンレースの様相を呈してきている。対米輸入額との関係で、これに見合うだけの報復関税の賦課はもはや中国には不可能であると言われており、他の方法を検討せざるを得ない。
 米国の追加関税に対しては、中国はWTO紛争解決機関に協議要請を行った(DS543)。

 中国の知的財産権侵害に対しては、EUはこれを追求する立場に立つものの、米国の鉄鋼・アルミニウム、そして次に述べる自動車に対する追加関税の動きに対しては、これに対抗する立場を貫く点で共通している。この2国・地域が対抗勢力をリードしている中、日本は日・EU EPAの締結をもって、先ずはEUとの自由貿易圏の確立を目指す。

(3)巨大貿易圏の出現

 これまで、日本とEU間の貿易において関税を中心とする障壁があったのは事実である。欧州製品は、工業品であれ農産品であれ、いわゆる贅沢品としてブランド力を持つことで、価格帯の異なる製品として日本市場に出回っていた。このマーケティングに変化が生じる可能性が出てきた。今後、チーズやワインをはじめとする農産品、皮革製品等の関税が下がることにより、ターゲットとなる消費者層の拡大が予想される。
 同時に、日本の工業品の欧州市場へのアクセスも期待される。

 折しもトランプ政権は、2018年5月23日に、通商拡大法第232条(Section 232 of the Trade Expansion Act of 1962, as amended (19 U.S.C. 1862))に基づく国家安全保障(national security)を理由に、乗用車、トラック、自動車部品に対する追加関税賦課(25%が意図されている)の調査を開始した。米国の輸入の15%が自動車であり、日本から米国へは年間300万台の自動車が輸出される中、業界団体は、2兆円規模の損害の可能性、投資判断への影響を懸念している。鉄鋼業界等、他の業界へも影響は派生する。そして、この自動車への追加関税は、トランプ政権の二国間貿易交渉において、交渉材料として用いられるであろう。
 早速、EUは米国との交渉を開始しており、自動車追加関税の回避を狙う。

 そのような中にあって、日・EU間EPAが奏功すれば、新たな市場の開拓、投資の機会、そして地図の変動すらも起こる可能性がある。

(4)EU GDPR

 日・EU EPAの署名と同日の2018年7月17日、日本とEUは、相互のデータ保護システムを「同等」であるとし、EUと日本の間の安全な個人データの移転を認めることで合意した。

 EUは5月に施行した一般データ保護規則(GDPR)で、欧州域外への個人情報の移転を原則として禁止している。日本とEUは2018年5月、日本の十分性認定を行う方向で協議することに合意したと発表していた。十分性認定がされれば、EUから日本への個人データの移転が安全・円滑に行われうる。
 今回の合意を受けて、十分性認定の採択に向け関連する内部手続きが開始される。EUは欧州データ保護委員会(European Data Protection Board:EDPB)からの意見を聴取し、EU加盟国の代表で構成される委員会の承認を得ることになる。手続き完了後、EUが日本への十分性認定を採択する見通しだ。

 EU GDPRにおいて十分性が認定されたのは、日・EU EPAの締結と相まって、大きな意義を有する。物やサービスの自由な移動とともに、個人データの安全な移動が日・EU間で確保されることにより、ビジネスのみならず文化のさらなる交流が期待される。

保護主義 vs 自由貿易

 232条措置への報復関税としてEUが発表したオートバイに賦課する追加関税(6%→31%)に即座に対応して、2018年6月25日、ハーレー・ダビッドソンは、EU向けのオートバイの生産を米国内からEUへと移管することを発表した。
 これに対するトランプ大統領のtwitterは、"Be patient."(もう少しの我慢だ)。保護主義の効果により恩恵を受けられるようになるまで、もう少し我慢して踏ん張ろう、という国民に向けたメッセージであろう。

 現在の通商を巡る世の中の目まぐるしい動きは、保護主義の効果を挙げ成果を誇示しその恩恵をもたらそうという動きと、自由貿易の成果を上げその正当性を示そうという動きの競争のように思われる。日・EU EPAの署名は、後者への貢献を試みるものである。いずれが先に成果を挙げるのか。我々は、単にこれを見守るだけではなく、冷静に分析をする必要がある。

 現在の経済の動きは、物だけではなく、労働力も含めたサービス、データへと多様化している。関税で壁を作ったところで、その壁を容易に潜り抜けることは出来ない、とは言えない。
 また、多国籍企業が存在し、一つのビジネスに様々な担い手が関連する時代にあって、国境を越えた相互依存は浸透している。一つの地域で一定の方向に対してとられた措置が、巡り巡って、措置の担い手に返ってくることは十分に想定される。

 自由貿易協定は、既に多数国間の時代を終え、二国間の時代に入ったのだとする論評もある。米国内では、それが大勢を形成しているのかもしれない。自由貿易を最も標ぼうしていた米国が、保護主義の先頭に立っていることが、現在我々が直面しているパラダイム・シフトである。
 しかしながら、ブロック経済によって限られた利益の取り合いが生じて世界大戦へと進んだ反省から、ブレトン・ウッズ体制がとられ、GATTそしてWTOという多数国間自由貿易協定が締結された動きを、無視することは出来ない。保護主義には限界があったことが、我々が歴史から学んだことである。

 広島・長崎の原爆の日を迎えるこの夏の時期に、「いつか来た道」を最初から辿り直したりはしないだけの叡智が、戦後築き上げた多数国間の自由貿易協定には込められていることに思いを致したい。

関連ページ

・『貿易戦争』のさなかに起こるパラダイム転換
https://gmc.nikkei-r.co.jp/features/column_detail/id=977

・【世界の統計局】EU
https://gmc.nikkei-r.co.jp/stat_area/?search_ext_col_01=03&topics_ext_options_search=1#area330

末冨 純子

弁護士(日本・米国ニューヨーク州)、早稲田大学法学部非常勤講師 東京弁護士会人権擁護委員会副委員長

通商法等を中心に実務に携わる。

主要著書に『Q&A FTA・EPA ハンドブック-関税節約スキームとしての活用法』(民事法研究会,2013年)、『国際投資仲裁ガイドブック』(中央経済社、 2016年)等。

 
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