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インドネシアで拡大する経済格差

川村 晃一

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アカデミック|アジア・オセアニア|インドネシア|2017年09月11日

 日本に入ってくる東南アジア関連のニュースは、経済成長が続いているといった明るいニュースが多い。しかし、どの社会にも、光の部分があれば影の部分もある。今回は、インドネシアにおいて経済成長の裏で拡大する経済格差の問題に触れてみたい。

成長の裏で格差が拡大

 どの国の政府にとっても、国民に人間らしい生活を保障することは重要な責務である。特に、植民地支配を経験し、深刻な貧困問題を抱える発展途上国の政府にとっては、経済成長と同時に公正な社会福祉を実現することが喫緊の課題である。
 1945年に日本軍政の終了とともに独立を果たし、1949年に旧宗主国のオランダから主権の委譲を勝ち取ったインドネシア政府も、この2つの問題を同時に実現しようと奮闘してきた。成長と福祉が同時に実現されるようになったのは、1966年にスハルト体制が成立した以降である。その後32年間続いた権威主義体制の下で、経済成長率は平均7%に達し、同時に貧困人口も3分の1以下にまで減らすことに成功した。スハルト政権は、政治的な自由を大幅に制限するかわりに、政治的安定から高度経済成長を実現させ、その成長の果実を国民全体に配分することで強権的支配に対する不満を抑えたのである。

 1998年の民主化後も貧困人口は年々減少した。ただし、最近は貧困人口減少のペースが落ちてきている。しかし、それ以上に問題なのは、経済的格差が拡大する傾向にあることである。不平等度を示す指標であるジニ係数(1に近づくほど不平等度が高い)は、スハルト時代の高度経済成長期だった1990年代に上昇を始め、アジア通貨危機で一旦は下落したものの、その後また上昇する傾向が続いている。通貨危機直後に0.31だったジニ係数は、2011年に0.41に達した後、2015年までその値で高止まりした。このような急速な格差拡大は、格差を縮小させつつある東南アジアの近隣諸国とは対照的である。

 ジニ係数が上昇していた時期は、資源ブームを追い風にインドネシアが安定した経済成長を続けていた頃である。つまり、経済成長の果実はもっぱら中間層から富裕層にかけての人々が享受し、下層にはそれが行き渡らなかったということである。いまや所得最上位1%の人々が、国全体の富の5割以上を所有しているというデータもある。しかも、最富裕層の資産は所得隠しや海外逃避などのため把握しきれておらず、実際の格差は数字以上に大きい可能性が高い。

民主政治の裏で格差が拡大

 このように低所得層の人々が過半数を占める社会で民主的な選挙が行われれば、彼らの利益を代表する政党が政権を取り、高所得層から低所得層へ富を再分配する政策が採られるはずである。格差が拡大していた時期は、インドネシアで民主政治が根付いていった時期でもある。1999年から国会議員選挙が、2004年からは大統領直接選挙が5年ごとに実施され、民主的な政権交代も実現している。にもかかわらず、民主的に選ばれた政権や政党によって十分な再分配政策は実行されてこなかった。
 もちろん、民主化後の政府も、格差拡大に対して全くの無策だったわけではない。通貨危機直後、世界銀行など国際機関のイニシアティブでソーシャル・セーフティーネットの各種プログラムが導入されたのを嚆矢に、各種の社会政策が実施された。2004年に初の大統領直接選挙で政権についたスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、貧困削減を主要政策課題に掲げ、貧困家庭を対象にした各種の生活保護策や住民参加を基本としたコミュニティー開発の政策を実施に移した。2014年からは国民皆保険の確立に向けた動きも始まった。

 それでも格差の拡大が止まらなかった理由のひとつは、社会保障分野への予算配分がきわめて少なかったからである。例えば、貧困対策予算の配分は対GDP比でおよそ0.5%前後、保健医療予算は同約1~1.5%となっており、同程度の経済発展レベルにある途上国と比べても極端に少ない。
 それに対して、最も多くの予算が配分されたのが石油燃料補助金であった。この補助金は、ガソリンや灯油、ガス、電気などのエネルギー料金を低く抑えることが目的である。この項目は、常に予算全体の15~20%を占めるうえ(対GDP比で3~4%)、国際的な石油価格の変動にも大きく左右されることから、政府にとっては大きな負担となっていた。しかも石油燃料補助金は、自動車を保有する中間層以上の人々が恩恵を受けるため、貧困削減には全く効果がない。
 それでも、補助金の削減は都市部の中間層などから強い反発が出るため、歴代の政権はなかなか手をつけることができなかった。アジア通貨危機時に、国際通貨基金(IMF)による融資の見返りに実施する構造改革のひとつとしてスハルト大統領が石油燃料補助金の削減を発表したところ、国民から強い反発が上がって、それが大統領辞任につながったことが政治エリートには一種のトラウマとして残っていたことも影響していた。石油価格の高騰が補助金の支出を押し上げ、財政危機に直面したユドヨノ大統領は、2期10年の任期の間に4度補助金の削減を実行したが、根本的な改革に手をつけることはできなかった。

ポピュリスト大統領による再分配政策は実現するか?

 なぜ民主化後の各政権の下で所得再分配の政策により多くの予算が振り向けられなかったのか。それは、低所得層の利益を代表する政治家や政党が不在だったからである。インドネシアには、独立期からスカルノ政権の時代まで、アジアで最も古い歴史を持ち、労働者や下層農民を支持基盤とした共産党が存在した。しかし、1965年9月30日に発生した共産党系国軍将校によるクーデター未遂事件を期に、東南アジア最大の勢力を誇った共産党は大弾圧を受けて消滅してしまった。その後は現在に至るまで、共産主義はイデオロギーとしても政治運動としても禁止されたままである。民主化後においても、低所得層を支持基盤とする左派政党さえ現れていない。選挙の時は貧しい人々の味方だと宣伝する政党も、選挙が終われば議員個人や彼らと特定のつながりのあるエリート、企業家ら一部の人々で予算を奪い合うことに汲々としている。これまでに汚職事件で逮捕された現職議員の人数が120人を超えていることからも、政治家が下層の人々の方を向いていないことは明らかである。

 そこに登場したのが、2014年の大統領選挙で勝利したジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)だった。庶民出身のジョコウィは、社会福祉や地方開発の重視を訴え、中下層の人々から強い支持を受けて当選を果たした。低所得層の人々にとっては、初めて自分たちのために政策を展開してくれると信じられる政治家が登場したように見えたのである。
 実際にジョコウィは、政権につくとすぐに、歴代大統領が手をつけられなかった石油燃料補助金の全廃を発表してすぐに実行に移した。補助金削減分の予算は、貧困削減や社会保障政策とインフラ資金へ振り向けられることも同時に発表された。ジニ係数も、2016年にはわずか0.01ポイントであるが改善が見られた。格差が拡大するなかで再分配政策を掲げたジョコウィが大衆に支持されて大統領に当選したのは、その意味で時代の要請だったのである。
 経済格差が放置されると、富裕層と貧困層の対立が深まり、民主主義の崩壊につながりやすいと言われている。インドネシアが今後も政治的な安定を維持できるかどうかは、ジョコウィが選挙で託された「国民のための政治」という信託に応えられるかどうかにかかっている。

出典

・Miranti, R. et. al. "Trends in Poverty and Inequality in Decentralising Indonesia" OECD Social, Employment and Migration Working Papers No. 148, Paris: OECD Publishing. 2013.

・World Bank. Indonesia's Rising Divide. 2016.

・World Bank. Spending for Development: Making the Most of Indonesia's New Opportunities. Indonesia Public Expenditure Review 2007

・World Development Indicators

川村 晃一

日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター東南アジアI研究グループ長代理
主な著書に、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の登場-』(編著、アジア経済研究所、2015年)、『東南アジアの比較政治学』(共著、アジア経済研究所、2012年)など。

 
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